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午前9時40分、「どうやら今日、死刑執行があったようだ」という第一報が入った。すでに解散後の「政治空白」の時期に、8月3日の「裁判員法廷」開始直前のタイミングを狙っての処刑が行われたようだ。すぐに予定を組み替えて、午後3時に国会内で死刑廃止を推進する議員連盟事務局長として、アムネスティやフォーラム90の人たちと記者会見を準備する。すでに、私は国会議員のバッジを外しているが、政治の渦中にいる者として発言をしないわけにはいかない。まずは、新聞記事を紹介したい。

総選挙直前の死刑執行に疑問の声 法相「職責を粛々と」(朝日新聞)

 法務省は28日、3人の死刑執行に踏み切った。政権交代をかけた衆院選の直前。野党の死刑反対派の議員からは批判の声が上がった。

 法務省内で記者会見した森法相は、半年ぶりの執行について「間隔や客観情勢との関係において、時期は全く意識していない」と強調した。衆院が解散した政治的な空白期に執行した理由を問われると「解散しても法務大臣であり、大臣としての職責を粛々と果たした」と語った。

 死刑に反対する国会議員でつくる「死刑廃止議員連盟」の保坂展人・前衆院議員は「国会議員が声を上げにくいこの時期を選んで、だれも責任を取らないような形で執行したとしか考えられない」と批判。死刑に反対する市民団体「フォーラム90」の関係者も「正直言って、総選挙前にあるとは思わなかった」と驚きを隠さなかった。

 フォーラム90によると、衆院解散中の執行は93年に一時止まっていた死刑執行が再開されて以来、例がない。

 法務省は、批判を覚悟のうえで執行にこだわったようだ。鳩山元法相以降続いていた「約2カ月~3カ月に1回」という執行のペースは崩れていた。17年半ぶりに受刑者が釈放され、再審開始が決まった「足利事件」などがあり、「執行しようと思っても、見送らざるを得ない事情が続いた」(幹部)という背景があった。

 だが、初めての裁判員裁判が8月3日に東京地裁で開かれることが決まった。ある幹部は「これ以上、期間が開いてしまうと、裁判員制度を担う市民たちに死刑制度の必要性を理解してもらえなくなる」との思いを漏らした。(朝日新聞夕刊)

[引用終了]

午後3時。参議院議員会館の会議室で行われた記者会見で、私は次のように話した。



(参議院議員会館 記者会見の様子)


[発言メモ]

裁判員制度が始まって、初の死刑執行が行われました。

21日にすでに衆議院は解散し、来月末投票の総選挙に向けて各党は走り出している状況です。言うならば現在は、「政治空白」と呼ぶべき時期にあたります。しかも、今回の総選挙によって生れる次の政権が、刑事司法のあり方や、裁判員制度の見直しについても、必要な議論をすることが予想されることを考えると、法務省刑事局と法務大臣がことさらに執行を急ぐ必要はないのではないか。

久しぶりに昨日議員会館に来たら、これまでの大野刑事局長が事務次官になり、かわって西川新刑事局長の「ご就任挨拶」の名刺が置いてあるのを確認しました。7月14日付けの法務省人事があってから、何日もないうちの処刑だった。西川刑事局長は「慎重の上にも慎重を重ね、あらゆる記録を精査して」(法務省の常套句)という時間を何日かけたのだろうか。森法務大臣についても、死刑執行の指揮命令をするにあったてどれだけ記録を読んだのか、同様の疑問が残ります。

とくに森法務大臣は、今回の執行を前に考えるべきことがあったのではないか。昨年10月に執行した飯塚事件の久間三千年死刑囚の処刑にゴーサインを出したが、この久間死刑囚が足利事件同様に「冤罪」ではなかったのかと指摘されていることは十分承知のことと思います。足利事件の教訓は、「捜査の可視化」によって刑事司法のあり方を大きく転換すべきだと語っています。また、参議院で可決した「可視化法案」は、解散前の衆議院では審議にすら入らなかったが、この秋から本格的な議論になるはずです。

今回の執行された3人の事件は、いずれも平成17年の事件である。しかも、ふたりは一審判決後の控訴を自ら取り下げている。一審で死刑判決を受けた被告が「控訴」を取りやめると、比較的短期間のうちに処刑されている。裁判員法廷が始まる直前に、「死刑執行」を淡々とやってみせるという法務省には、国民に対して「あなた方も極刑である『死刑』に参加することになりますよ」というアピールが隠されていると感じます。

裁判員裁判では多数決で「死刑判決」を決定する制度です。多数決で死刑を決める制度は他国に例のない、きわめて特異なもの。ただちに、すくなくとも死刑判決を決める場合は「全会一致」を条件にするか、一致しない時には終身刑を創設して罪一等減じるかの手当てを行うべきだと考えます。本来なら、裁判員制度事件から「死刑対象事件」を取り除くという議論もしなければならないけれど、総選挙の後で「国民的な議論」を尽くす必要があるし、すべては法務官僚におまかせというわけにはいかないと政治の場がしっかりこのテーマを深めて議論を展開する時期がきていると思います。

[発言メモ終了]

裁判員制度が始まれば、裁判員に選ばれた国民が死刑判決に直面することになる。その前に、本来なら全国会的な議論が必要だったのだが、間に合わなかったのは残念だ。もちろん、刑場の露と消えていった彼らの犯罪は憎むべきもので、許されないものだ。しかし、世界中で「死刑執行モラトリアム」が広がり、廃止国も増えていく中で、もう一度、存置・廃止の枠を超えて「死刑とは何か」「死刑はどのように行われるのか」「死刑と終身刑の関係はどうか」などのテーマを掘り下げて議論したいと思うのだ。

衆議院解散の後で死刑執行があったのは、1969年12月以来、約40年ぶりのことだ。

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