阿多田島灯台資料館に向かう途中、観音山にある観音堂に向かう参道があったので登って参詣した。小さなコンクリート製の堂であるが島民の人達に厚く信仰されているようであり、参道脇などには結婚記念樹などが植えられていた。江戸期の地誌によると玖波村の網屋与右衛門が肥州平戸での漁で網に観音像がかかり、これを持ち帰ったが平戸の見える所に祀ってくれとの夢枕にこの地に堂を建て祀ったようである。
阿多田島灯台資料館に向かう途中、観音山にある観音堂に向かう参道があったので登って参詣した。小さなコンクリート製の堂であるが島民の人達に厚く信仰されているようであり、参道脇などには結婚記念樹などが植えられていた。江戸期の地誌によると玖波村の網屋与右衛門が肥州平戸での漁で網に観音像がかかり、これを持ち帰ったが平戸の見える所に祀ってくれとの夢枕にこの地に堂を建て祀ったようである。