(2016/新海誠 監督・脚本・編集/声の出演:神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみ、市原悦子、成田凌/107分)
去年の夏に大ヒットして話題になった映画だからレンタルが始まったら絶対に観ようと思っていた。少年少女の魂の入れ替わりが設定にあるのは知っていたが、天変地異が背景にあったのは知らなかった。脚本も書いた監督の中には東日本大震災への思いがあったのかも。
朝起きたら大きな虫になっていたのはカフカの「変身」だが、目覚めたら全くの赤の他人に乗り移っているというのが「君の名は。」の始まりだ。東京の少年と岐阜県飛騨高山の少女とが、本人たちの意思に関係なく一週間に数回朝目覚めると互いの身体に魂が入れ替わっているというびっくりぽんなお話で、虫になってるというのも怖いが、赤の他人でしかも周りの人間関係もその人物の履歴も知らない人に乗り移るなんて、想像してもパニックになりそうなんだけど、映画みたいにあんなに簡単に対処できるのかねぇ。
大林監督の「転校生」は、同じ町に住んでいる少年少女の入れ替わりだから、ファンタジックな設定もすんなり受け入れられた感があるが、こっちはどうもおかしな感じだった。
2回目の鑑賞では、とりあえずその辺はスルーして、物語に乗っかっていくと、スマホを媒介として、日記を付けたりメッセージを残したりして、本人不在の間の情報を共用するという展開が新味で面白さはあった。
ただ、これも後に二人の間には三年の時間のズレがあったという設定が明らかになって、はてスマホの日付曜日の違いは気が付かなかったんだろうかと、またまた気になることが増えてしまった。
まずはストーリーだが、ウィキに完璧に書かれていたので引用する。但し、結末まで書かれているので未見の方はスルーしてもらいたい。
<東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧は、ある朝、目を覚ますと岐阜県飛騨地方の山奥にある糸守町に住む女子高生・宮水三葉になっており、逆に三葉は瀧になっていた。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。
翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、その後も週に2~3回の頻度でたびたび「入れ替わり」が起きた事と周囲の反応から、それがただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。性別も暮らす環境もまったく異なる瀧と三葉の入れ替わりには困難もあったが、お互い束の間の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。
しかし、その入れ替わりは突然途絶え、記憶を頼りに描き起こした糸守の風景スケッチだけを頼りに瀧は飛騨に向かう。瀧の様子を不審に思い心配していた友人・藤井司とバイト先の先輩・奥寺ミキもそれに同行する。しかし、ようやく辿り着いた糸守町は、3年前に隕石(ティアマト彗星の破片)が直撃したことで消滅しており、三葉やその家族、友人も含め住民500人以上が死亡していたことが判明し茫然とする。スマートフォンのメモなどの入れ替わりの証拠も、全て消えてしまう。
瀧は奥寺先輩との会話から、以前三葉と入れ替わり口噛み酒を奉納した記憶を思い出し、宮水神社背後の龍神山上にある隠し本殿の御神体へと一人で向かう。そしてその御神体が実在していたことで「入れ替わり」が自分の妄想ではなく、2人の入れ替わりには3年間の時間のズレがあったことを確信する。瀧は、もう一度入れ替わりが起きることを願いながら、3年前に奉納された三葉の口噛み酒を飲む。
目覚めると隕石落下の日の朝の三葉の身体に入っていた瀧は、三葉の友人である勅使河原克彦、名取早耶香の2人とともに、住民を避難させるために変電所を爆破し町一帯を停電させ、町内放送を電波ジャックして避難を呼びかけるという作戦を画策する。しかし、その計画の要である三葉の父・俊樹を説得しようとするが、妄言だと一蹴される。
避難計画が順調に進まず、瀧(身体は三葉)は(瀧の身体に入った)三葉に会うため御神体がある山を登る。生きている世界には3年の時間差がある2人だったが、時間を超えて聞こえる声を頼りに互いの姿を探すも、声だけで姿は見えなかった。しかし黄昏が訪れると互いの姿が見え、入れ替わりが元に戻り、初めて2人は時を超え直接会話することができた。
三葉は、瀧から住民を助ける計画を引き継ぎ下山する。計画通りに町を停電させ、避難指示の放送を流すが、その電波ジャックも町役場にバレて訂正の放送を流され、避難は進まない。三葉は改めて父(町長)を説得するため、今朝からの三葉の異常を一葉と四葉が町長に説明している町役場に向かう。
瀧が「入れ替わり」という不思議な出来事に遭ってから5年後、偶然にも住民が避難訓練をしており奇跡的に人的大被害に至らなかった糸守町への隕石衝突から8年後へと舞台は移る。瀧は就活の毎日、三葉たちは東京で暮らしていた。たまに町中でお互いの気配を感じることがあったが、もはや入れ替わりのことは忘れており、ただ「漠然と『誰か』を探している」切実な思いだけがあった。
さらに月日が流れたある春の日、たまたま並走する別々の電車の車窓からお互いを見つけた2人は、それぞれ次の駅で降り、お互いの下車駅に向かって走り出す。ようやく住宅地の神社の階段で再会した三葉と瀧は、涙を流しながら互いに名前を尋ねる。>
避難誘導が上手くいかなかったところでシーンが切り替わるが、5年後のラストシークエンスでは、糸守町の人々が生存していることに気付き愕然とする。もう一度観なおしたら、どうやら避難誘導は上手くいかなかったかに見えて、実は町長である三葉の父親が彼女らの言葉を信じて町民を避難させた事が分かる。ということは、糸守の災害の様相が変わったことになっているんだ。
うーん。ドラえもんでもやらなかった歴史の変更。隕石落下の衝撃で町民500人が亡くなったという新聞記事まであったのに、それを無しにするなんて・・・。
確かにアニメファンタジーではあるけれど、そんなストーリーのどこで感動すればいいんだろう。
11日に初めて観て、12日に2回目の鑑賞を。その後、暫く他の用事に阻まれて記事にできず、そうこうするうちにサーっと印象が薄れてしまった。
人物造形にはちょっと少女趣味な匂いもして、語り口にも若者受けを狙った感もあるが、まぁまぁすんなりと観れる作品ではありましたね。
ただ、あんなにヒットするのは不思議な感じ。ま、最近の流行には解せないものが多くて、多分僕の感覚が古くなっているんでしょう。
2016年のLA批評家協会賞でアニメーション賞を受賞。
日本アカデミー賞では、アニメーション作品賞、監督賞にノミネート。脚本賞と音楽賞(RADWIMPS)を受賞したそうです。
去年の夏に大ヒットして話題になった映画だからレンタルが始まったら絶対に観ようと思っていた。少年少女の魂の入れ替わりが設定にあるのは知っていたが、天変地異が背景にあったのは知らなかった。脚本も書いた監督の中には東日本大震災への思いがあったのかも。
*
朝起きたら大きな虫になっていたのはカフカの「変身」だが、目覚めたら全くの赤の他人に乗り移っているというのが「君の名は。」の始まりだ。東京の少年と岐阜県飛騨高山の少女とが、本人たちの意思に関係なく一週間に数回朝目覚めると互いの身体に魂が入れ替わっているというびっくりぽんなお話で、虫になってるというのも怖いが、赤の他人でしかも周りの人間関係もその人物の履歴も知らない人に乗り移るなんて、想像してもパニックになりそうなんだけど、映画みたいにあんなに簡単に対処できるのかねぇ。
大林監督の「転校生」は、同じ町に住んでいる少年少女の入れ替わりだから、ファンタジックな設定もすんなり受け入れられた感があるが、こっちはどうもおかしな感じだった。
2回目の鑑賞では、とりあえずその辺はスルーして、物語に乗っかっていくと、スマホを媒介として、日記を付けたりメッセージを残したりして、本人不在の間の情報を共用するという展開が新味で面白さはあった。
ただ、これも後に二人の間には三年の時間のズレがあったという設定が明らかになって、はてスマホの日付曜日の違いは気が付かなかったんだろうかと、またまた気になることが増えてしまった。
まずはストーリーだが、ウィキに完璧に書かれていたので引用する。但し、結末まで書かれているので未見の方はスルーしてもらいたい。
<東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧は、ある朝、目を覚ますと岐阜県飛騨地方の山奥にある糸守町に住む女子高生・宮水三葉になっており、逆に三葉は瀧になっていた。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。
翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、その後も週に2~3回の頻度でたびたび「入れ替わり」が起きた事と周囲の反応から、それがただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。性別も暮らす環境もまったく異なる瀧と三葉の入れ替わりには困難もあったが、お互い束の間の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。
しかし、その入れ替わりは突然途絶え、記憶を頼りに描き起こした糸守の風景スケッチだけを頼りに瀧は飛騨に向かう。瀧の様子を不審に思い心配していた友人・藤井司とバイト先の先輩・奥寺ミキもそれに同行する。しかし、ようやく辿り着いた糸守町は、3年前に隕石(ティアマト彗星の破片)が直撃したことで消滅しており、三葉やその家族、友人も含め住民500人以上が死亡していたことが判明し茫然とする。スマートフォンのメモなどの入れ替わりの証拠も、全て消えてしまう。
瀧は奥寺先輩との会話から、以前三葉と入れ替わり口噛み酒を奉納した記憶を思い出し、宮水神社背後の龍神山上にある隠し本殿の御神体へと一人で向かう。そしてその御神体が実在していたことで「入れ替わり」が自分の妄想ではなく、2人の入れ替わりには3年間の時間のズレがあったことを確信する。瀧は、もう一度入れ替わりが起きることを願いながら、3年前に奉納された三葉の口噛み酒を飲む。
目覚めると隕石落下の日の朝の三葉の身体に入っていた瀧は、三葉の友人である勅使河原克彦、名取早耶香の2人とともに、住民を避難させるために変電所を爆破し町一帯を停電させ、町内放送を電波ジャックして避難を呼びかけるという作戦を画策する。しかし、その計画の要である三葉の父・俊樹を説得しようとするが、妄言だと一蹴される。
避難計画が順調に進まず、瀧(身体は三葉)は(瀧の身体に入った)三葉に会うため御神体がある山を登る。生きている世界には3年の時間差がある2人だったが、時間を超えて聞こえる声を頼りに互いの姿を探すも、声だけで姿は見えなかった。しかし黄昏が訪れると互いの姿が見え、入れ替わりが元に戻り、初めて2人は時を超え直接会話することができた。
三葉は、瀧から住民を助ける計画を引き継ぎ下山する。計画通りに町を停電させ、避難指示の放送を流すが、その電波ジャックも町役場にバレて訂正の放送を流され、避難は進まない。三葉は改めて父(町長)を説得するため、今朝からの三葉の異常を一葉と四葉が町長に説明している町役場に向かう。
瀧が「入れ替わり」という不思議な出来事に遭ってから5年後、偶然にも住民が避難訓練をしており奇跡的に人的大被害に至らなかった糸守町への隕石衝突から8年後へと舞台は移る。瀧は就活の毎日、三葉たちは東京で暮らしていた。たまに町中でお互いの気配を感じることがあったが、もはや入れ替わりのことは忘れており、ただ「漠然と『誰か』を探している」切実な思いだけがあった。
さらに月日が流れたある春の日、たまたま並走する別々の電車の車窓からお互いを見つけた2人は、それぞれ次の駅で降り、お互いの下車駅に向かって走り出す。ようやく住宅地の神社の階段で再会した三葉と瀧は、涙を流しながら互いに名前を尋ねる。>
*
避難誘導が上手くいかなかったところでシーンが切り替わるが、5年後のラストシークエンスでは、糸守町の人々が生存していることに気付き愕然とする。もう一度観なおしたら、どうやら避難誘導は上手くいかなかったかに見えて、実は町長である三葉の父親が彼女らの言葉を信じて町民を避難させた事が分かる。ということは、糸守の災害の様相が変わったことになっているんだ。
うーん。ドラえもんでもやらなかった歴史の変更。隕石落下の衝撃で町民500人が亡くなったという新聞記事まであったのに、それを無しにするなんて・・・。
確かにアニメファンタジーではあるけれど、そんなストーリーのどこで感動すればいいんだろう。
11日に初めて観て、12日に2回目の鑑賞を。その後、暫く他の用事に阻まれて記事にできず、そうこうするうちにサーっと印象が薄れてしまった。
人物造形にはちょっと少女趣味な匂いもして、語り口にも若者受けを狙った感もあるが、まぁまぁすんなりと観れる作品ではありましたね。
ただ、あんなにヒットするのは不思議な感じ。ま、最近の流行には解せないものが多くて、多分僕の感覚が古くなっているんでしょう。
2016年のLA批評家協会賞でアニメーション賞を受賞。
日本アカデミー賞では、アニメーション作品賞、監督賞にノミネート。脚本賞と音楽賞(RADWIMPS)を受賞したそうです。
・お薦め度【★★=悪くはないけどネ】
これだけヒットした作品なんだし
どっかで気持ちをぐっともっていってもらえると
思ったんだけど
気づいたら「しゅーりょー」
どこからふたりが涙ぐむくらいの恋へと
進んだのかがよくわからなかったわ。
十瑠さんも書いておられるように
キャラの造形があまり好みじゃなかったせいもあるかもね。
でも、これにウットリできない自分は
ただ年取ったってことなのかもなって
思いました。
僕はanupamさんと同じで、乗り切れませなんだ。
>どこからふたりが涙ぐむくらいの恋へと進んだのかがよくわからなかったわ。
多分、運面論的なものに心酔しがちな若者には、もうそれだけで十分なんでしょうよ。
オジサンには設定自体に違和感があるし、色々と細かい部分でも納得しかねまする。
★二つ
高校生の頃観に行きました、この映画。私は若いながらも、あまり感動はできませんでした。私の感覚が古いのでしょうかね。
彗星の衝突シーンだけは覚えているんですよね。あれは迫力がすごかった。それ以外は、うーん...
応援完了です!
古い、新しいではない所の感覚の違いではないでしょうか。