(岸本佐知子 三浦しをん 吉田篤弘 吉田浩美 文藝春秋)
「だから、よく覚えていないんですけど」と彼らは前置きし、「たしか主人公がラスコーなんとかで」「おばあさんを殺しちゃうんじゃないですか?」――どこかで聞いたことのある台詞だった。
つまり、「読んだことはあるけれど、よく覚えていない」人たちの認識に、さほど大差はないのだった。
では、いったい、「読む」とは、どういうことなのか。何をもって、「読んだ」と云い得るのか――。
(『読まずに読む』 吉田篤弘)
<「読んだ」と「読んでない」に大差がないのなら、読まずに読書会をひらくことが出来るのではないか。>
それでは、『罪と罰』という小説を読まずに、『罪と罰』について徹底的に話し合ってみようではないかと、なりゆきに任せて決められたルールといえば、
・読書会当日に、『罪と罰』の最初のページと最後のページの翻訳だけを配布する。
・『罪と罰』を読了した「立会人」に、推理の進展が暴走しないよう、ときどき内容をリークしてもらう。
・本編全六部の各部三回まで、当てずっぽうに指定した1ページを読んでもらうことが出来る。
つまりこれは、「『罪と罰』を読んだことがない」というマイナス・ポイントを、「読んだことがない者だけが楽しめる遊び」に転じてしまおうという、ナンセンスな実験の試みではあるのだが・・・
浩美 ラスコってニートっぽいんだよね?
岸本 なぜ、そんなに貧乏なのかな。
三浦 たぶん、下級武士の家みたいな感じなんですよ。お金がすごくあるわけでもないけど、立身出世をして一族を繁栄させるために、「ラスコ、行ってこい」って言われて都会に出てきた。でも、そんなにおうちに余裕はないから、仕送りもカツカツで。本人も勉強にいまいち身が入らない。
と、冒頭3ページのみの紹介で、のっけから圧倒的な妄想を爆発させてしまう三浦しをんに導かれるかのように、
なしくずし的に始まってしまった「秘密の読書会」なのであれば、もう誰にも、この暴挙を止めることなどできようはずもなく、
私たち読者は置き去りにされて、ただ扉の陰からこっそりと、覗き見る以外に術はないのである。
にもかかわらず、気が付けばいつの間にか、この「読まずに読んでしまう」ことの想像を絶する醍醐味を、充分満喫していることになるわけなのだが、
篤弘 推理していくうちに生じた疑問がいくつかあるでしょう?その答えをやっぱり確認したいよね。
三浦 どうしよう、感動のあまり涙、涙で涙腺決壊ということになったら。
浩美 「『罪と罰』、いいですよ!」って会う人ごとに言ったりして。
三浦 「読んで人生観変わりました。いや、いままさに『人生が到来しました』と言えましょう!」
岸本 「えっ、まだ読んでないの?」ってドヤ顔で言ったり。
篤弘 わかりました。やっぱり読むことにしましょう。
「えーっ!結局読むのかよ!」
と、あきれ返るほどの節操のなさなのだが、この抱腹絶倒の<読後座談会>まで読まされてしまえば、
う〜む『罪と罰』読まねばなるまい、という気持ちを抑えきれなくなること必定なのである。
いったい、どうしてくれるんだぁ!
『罪と罰』をまだ一文字も読んでいないときから、我々四人は必死に「読んで」いました。いったいどんな物語なのか。期待に胸をふくらませ、夢中になって、「ああでもない、こうでもない」と語りあいました。それはなんと楽しい経験だったことでしょう。ページを開くまえから、『罪と罰』は我々に大きな喜びを与えてくれたのです。
(『読むのはじまり』 三浦しをん)
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
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「だから、よく覚えていないんですけど」と彼らは前置きし、「たしか主人公がラスコーなんとかで」「おばあさんを殺しちゃうんじゃないですか?」――どこかで聞いたことのある台詞だった。
つまり、「読んだことはあるけれど、よく覚えていない」人たちの認識に、さほど大差はないのだった。
では、いったい、「読む」とは、どういうことなのか。何をもって、「読んだ」と云い得るのか――。
(『読まずに読む』 吉田篤弘)
<「読んだ」と「読んでない」に大差がないのなら、読まずに読書会をひらくことが出来るのではないか。>
それでは、『罪と罰』という小説を読まずに、『罪と罰』について徹底的に話し合ってみようではないかと、なりゆきに任せて決められたルールといえば、
・読書会当日に、『罪と罰』の最初のページと最後のページの翻訳だけを配布する。
・『罪と罰』を読了した「立会人」に、推理の進展が暴走しないよう、ときどき内容をリークしてもらう。
・本編全六部の各部三回まで、当てずっぽうに指定した1ページを読んでもらうことが出来る。
つまりこれは、「『罪と罰』を読んだことがない」というマイナス・ポイントを、「読んだことがない者だけが楽しめる遊び」に転じてしまおうという、ナンセンスな実験の試みではあるのだが・・・
浩美 ラスコってニートっぽいんだよね?
岸本 なぜ、そんなに貧乏なのかな。
三浦 たぶん、下級武士の家みたいな感じなんですよ。お金がすごくあるわけでもないけど、立身出世をして一族を繁栄させるために、「ラスコ、行ってこい」って言われて都会に出てきた。でも、そんなにおうちに余裕はないから、仕送りもカツカツで。本人も勉強にいまいち身が入らない。
と、冒頭3ページのみの紹介で、のっけから圧倒的な妄想を爆発させてしまう三浦しをんに導かれるかのように、
なしくずし的に始まってしまった「秘密の読書会」なのであれば、もう誰にも、この暴挙を止めることなどできようはずもなく、
私たち読者は置き去りにされて、ただ扉の陰からこっそりと、覗き見る以外に術はないのである。
にもかかわらず、気が付けばいつの間にか、この「読まずに読んでしまう」ことの想像を絶する醍醐味を、充分満喫していることになるわけなのだが、
篤弘 推理していくうちに生じた疑問がいくつかあるでしょう?その答えをやっぱり確認したいよね。
三浦 どうしよう、感動のあまり涙、涙で涙腺決壊ということになったら。
浩美 「『罪と罰』、いいですよ!」って会う人ごとに言ったりして。
三浦 「読んで人生観変わりました。いや、いままさに『人生が到来しました』と言えましょう!」
岸本 「えっ、まだ読んでないの?」ってドヤ顔で言ったり。
篤弘 わかりました。やっぱり読むことにしましょう。
「えーっ!結局読むのかよ!」
と、あきれ返るほどの節操のなさなのだが、この抱腹絶倒の<読後座談会>まで読まされてしまえば、
う〜む『罪と罰』読まねばなるまい、という気持ちを抑えきれなくなること必定なのである。
いったい、どうしてくれるんだぁ!
『罪と罰』をまだ一文字も読んでいないときから、我々四人は必死に「読んで」いました。いったいどんな物語なのか。期待に胸をふくらませ、夢中になって、「ああでもない、こうでもない」と語りあいました。それはなんと楽しい経験だったことでしょう。ページを開くまえから、『罪と罰』は我々に大きな喜びを与えてくれたのです。
(『読むのはじまり』 三浦しをん)
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
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