5月の末に書いた文章を、発表する場がなかったので公開。

『布おむつ』

 三月末に娘が誕生した。子どもを持つ前は、子育て中の友人に「大変でしょう?」などと言いながらも何が大変なのかほとんど見当がつかなかったが、娘が生まれるとそのとき友人から得た「まあ大変と言えば大変だけど我が子はかわいいから苦にならないよ」という返事の意味までも身に染みてわかるようになった。

 赤ん坊というのはとにかく泣く。そのたびに抱き上げてなだめ、歌を歌って気を逸らし、おっぱいをあげ、寝付くまで辛抱強く揺らし続けなければならない。お腹が空いた。抱っこして。鼻がつまって苦しい。のど乾いた。抱っこのときは座らないで。眠いのに寝付けない。暑い。いつもと雰囲気が違うから不安。抱き方が悪い。大きな音がしてびっくりした。おっぱい足りない。抱っこのまま寝たいんだから下ろさないで。こんなふうにしてしょっちゅう泣くが、生後もうすぐ二ヶ月になる我が娘の場合は、今のところおむつが濡れたと言って泣くことが多い。布おむつを使用しているせいかもしれない。

 少数派になりつつある布おむつをわざわざ使っているのであるが、実はそれほど強いこだわりがあるわけではなかった。ゴミが出ないのは魅力的だし、いちいち買いに行かなくて済むという利点はあるけれど、何より布おむつ一式のお下がりを兄のところからもらったことが大きい。一通り揃っていたから「せっかくあるんだから布おむつを使ってみようか」ということになったのだ。

 しかし「布おむつは大変」という漠然としたイメージの通り、それなりに手間はかかる。ウンチはトイレに流し、ざっと手洗いして漂白剤にしばらく浸し、洗濯機で洗って干す。乾いたら畳まなければならない。紙おむつなら汚れたおむつはウンチもおしっこもおむつごとクルクル丸めてポイッと捨てればいいのだから、それに比べたら大変なのは当たり前だ。おまけに最近の紙おむつは優秀で水分をすぐに吸収してくれるから、おしっこをしても不快にならず、赤ちゃんはあまり泣かないようなのだ。布おむつをしているとちょっとでも濡れたら気持ち悪いらしく、おむつを頻繁に替えることになるので、あっという間に洗濯物が溜まってしまう。空いた時間は黙々とおむつを洗うことになるし、今感じている育児の大変さの半分くらいは布おむつに起因しているのではないかとさえ思う。

 ところで、布おむつというと高校の現代国語の時間に読んだ「舞姫」を思い出す。ドイツに渡った主人公が踊り子エリスと恋に落ちるが、主人公は帰国し、裏切られたエリスが精神を病んでしまうという救いのない話だったように記憶している。その話の後半に、身籠ったエリスが襁褓(むつき)を用意しているという描写があったのだ。幸せの象徴のように登場した布おむつが、エリスの悲劇的な末路を一層際立たせる。雨雪に濡れた冷たい石畳と、古くて薄暗い部屋。気がおかしくなってしまった身重の女がうつろな目で佇んでいる。そんなすべてが暗い画面の中にはためく、場違いなほど真っ白な布おむつ。高校生の私はそんな情景を思い描いてぞっとしたものだった。「舞姫」といえば今もその場面がよみがえるし、布おむつといえば「舞姫」が思い浮かぶ。

 だからというわけでもないが、おむつを洗うときはどうしても、我が子の幸せを祈らずにはいられない。どうかこの子が明るい未来を切り拓いていけますように。そう念じながらゴシゴシと洗った布おむつをベランダに干すと、明るい陽射しの中でおむつがひらひらと揺れる。その様はいかにも希望に満ちていて、ああ、かわいい娘のためなら私はいくらでもおむつを洗おう、と心の中でつぶやくのだ。



20060823 (1)-1re2
 最近は泣く理由が多様化。