散り急ぐ桜のひとひら、ひとひらはまるであの人を覆い尽して、
どこかに連れ去ってしまうようだった。


「終わってしまわないうちに、今年のさくらを見ておくか!」


桜を見に行く。

自分に言い聞かせたことが口実であることは

誰よりも自分が知っていた。


どこでだって桜は見られるのに、足の向く先は決まっていた。
やっぱりあの人はここにいたのだ。
そして、スケッチブックを開いて、

一心に鉛筆を走らせているのだった。




「ねえ、桜を見に行かないか?全部散ってしまわないうちに」


大学のサークルの同期、ちょっとは気になったけれど、
それ以上でもそれ以下でもない彼が唐突に誘いかけてきた。


「もしかして、チャンス?!」と心の中の快哉はおくびにも出さず、
待ち合わせの時間と場所を決めたのだったが、彼が指定した場所は
カップルで行くとその二人は必ず別れてしまうという

都市伝説のある公園。
「もしかして、何でもないのか…」


「落ち着け、わたし」と気合いを入れ、

平静さを装って彼と落ち合った公園は

折しも花冷えの風に桜が舞い立ち、

とてもとてもロマンティックに思えてくるのだった。


「さて、ここでいいか」
彼はベンチのひとつに腰をおろすと、

脇に抱えていたスケッチブックを開いた。


「あ、悪いけど、弁当かなんか買ってきてくれない?花見弁当!」


「こいつ、わたしを小間使いに呼んだのか?」と思うと同時に
「こいつ、にこっとすると、案外素敵かも?」と思いは混濁して、
声に出したのは「分かった!嫌いなもの、ないよね?」と
いい子してしまっている自分をに気付いたのは、

売店を探し始めてからであった。


弁当とお茶を調達して件のベンチに戻る道々でも、
冷静さを保たねばとは思うものの、どうも思いは千々に乱れてしまう。

「やっぱりガツンと言っておかないとね。最初が肝心なんだから」
と自分に檄を飛ばしたかと思えば、
「最初?まだ先があるってこと。えぇ~、そうなの?」
とひとりボケ突っ込みを演じているような始末。


ふと周囲の人々が自分を避けて通っていることにハタと気付いて、
目を前に向けた先ではベンチに腰掛けた彼が身じろぎもせず、

スケッチをしているのだった。


いったい何を描いているのだろうか。
後からそおっと近づいて覗きこもうとすると、

急に振り返って「まだ、だめ!」という彼。
それを「お、かっこいい」と思ってしまっているわたし。
これはまずい展開だと、さすがに思い至るわたしであった。


隣でわたしが弁当を食べている間も、

彼は黙々と鉛筆を動かし続けた。
時折、わたしの方にちらりちらりと

彼が視線を投げてくるような気がしたが、
「こりゃあ、いきなり重傷ですかぁ…」と

我がことながら呆れかえるばかり。


弁当を食べ終わり、間が持たなくなりそうでちびりちびりと

舐めるように飲んでいたお茶もほとんど無くなってきた頃、

パタンとスケッチブックの閉じる音が聴こえた。


「できたんだ。…見せてもらえる?」
ちと甘えの演出が過ぎたかとも思ったが、

彼は至ってさわやかに「いいよ」と応じ、
スケッチブックを開いて幾ページかを見せてくれた。


桜はその淡い色合いでこそ桜だと思い込んでいたけれど、
彼が鉛筆だけで描いたものには全く違う桜の一面があるように思えた。


暖かくなって、何もかもが活発に動き始める春。
桜もまた花が咲き、散り、そして若葉が一気に吹き出してくる。
留まることのない、動きに満ちた瞬間、瞬間の連続。


閉じ込めようのない瞬間が詰め込まれている気がして、
今の自分たちを見るような気さえしてくる。

そして「これが最後」と彼がめくったページに描かれた素描。
躍動感を凝縮した桜を眺めやるわたしが描かれていた…。






それから、わたしは彼がスケッチを描く隣に

何度も何度も座っていることになった。

彼は季節の移ろいを瞬間的に閉じ込めておく場所をよく知っていて、

その中には必ず私も閉じ込められていた。


こうして四季が一巡し、

彼からの誘いが無いままにまた桜の季節が終わろうとしていた頃、

例の都市伝説の公園をたまたま通り抜けることになったとき、

彼はやはりそこで桜を描いていた。

ベンチでは、彼の隣でひとりの女の子が黙々と弁当と食べていた。


それからの一年は、その前の一年とは全く違ったものになった。

季節ごとの躍動感を愛で、

それを凝縮した瞬間に感動を覚える一年とは正反対に、

凍りついたような一年だった。


そしてまた、今年も桜が咲いた。

やはり彼は桜を描いていた。

今度は彼のそばには誰もいない。

もちろん去年の彼女も。


彼のスケッチブックの中には、季節の移ろいが閉じ込めてある。

でも、季節の移ろいには一瞬といえども同じ瞬間は無い。


「わたしも、描かれるべき移ろいゆくものの部分だったんだね」

今はそんなふうに思うことができるようになった。

去年の彼女より一年分先輩の経験をしたわたしは彼女のことを思い、

「実はね、彼にとってのあなたは…」と伝えてやりたい気がした。

わたしもまた確かに去年のわたしと同じではないのだった。







藪から棒に何のことやら?と思われた方もおいでと思われますけれど、

こちらのブログで初めて創作まがいのことをやってみました。

(以前は、春と桜にひっかけて、あれこれ書いたものですが…)


たまたまワシントン・アーヴィングの「スケッチ・ブック」 を読むことになったときに、

単にタイトルが同じだからというだけですが、小椋佳の「スケッチブック」という歌を思い出し、

アーヴィングを読みながらも常にこの歌が口をついて出るてな状況になってたのですね。


で、何かしら関わりにあることを書いて吐き出すことにしようかと思ったとき、

思い浮かんだことを、このように書いた…と、そういうわけです。


最初は歌詞に擬えたものにしようかとも思ったですが、

それでは詰らないので、インスパイアはされたものの、

思い付きで最後まで行きました。


Youtubeあたりで小椋佳の「スケッチブック」も検索していただき、

共々お楽しみいただけたなら幸甚でございます。