映画「テルマエ・ロマエⅡ」を見たですが、相も変わらずというか何というか。
まあ、見ている間は楽しんでいるんで、それ以上どうのと言うこともないのですが…。
紀元136年、ハドリアヌス皇帝下のローマ帝国
から現代日本にタイムスリップした
テルマエ技師のルシウス(阿部寛)は、バスクリンに驚き、マッサージ椅子に(身体ごと)動揺し、
草津に現れては湯畑や湯もみショーに感心する。
これらをいかにかして(奴隷たちを大量動員してなわけですが)
古代ローマ世界で実現してしまうのがルシウスの異才であり、
また笑わせてくれたりするところでもありますね。
ですが、ここでちと「お!」と思いましたのは、
コロッセオで展開するグラディエーターたちの格闘シーンでありまして。
格闘といっても、その実、死ぬまで戦うバトル・ロイヤルで
殺伐とした場面を見るにつけ引けていくのに対して、
映画の中、つまりはコロッセオに集う観衆はどんどん熱狂の度を高めていくという。
勝ち残りのグラディエーターが最後に打ち倒したひとりを足で押さえ、
内心「もういいだろう…」と観客席を見上げるところは、
ジャン・レオン・ジェローム描くところの「グラディエーター」そっくりでありましたですよ。
これはゲッティ・センター@ロサンゼルスで開催されたジェローム回顧展の図録ですが、
表紙に使われるくらいですから、有名作なのでありましょう。
で、この絵の観客席に注目してみますと、映画同様に観衆の熱狂が見てとれますですね。
最後のひとりを打ち倒し終えたからには「もうよかろう」と思っている(かもの)グラディエーターに対し、
観衆は一様に親指を下に向けたしぐさで「やっちまえ!」「とどめを指せ!」と猛アピール。
(左側ではルシウスがこれを冷ややかに眺めている…わけないですが…)
時間も空間も隔てたところから見れば、この殺伐とした場面には付いて行きにくいわけですが、
おそらく古代ローマではこれが熱狂的に迎えられ、大衆のガス抜きとしても効果的であったとは
ところ変わればなのでありましょうかね。
古代ローマに限らず、公開処刑なんつうものを通じても見る側の熱狂は
あれこれ伝えられるところからすると、この手のものが古来好きな人たちなんでありましょうか…。
一度だけマドリッドで闘牛を見たことがありますけれど、何やら近さを感じるような。
闘牛士の牛あしらいは熟練の技であるとはいえ、ついうっかりこけるようなことでもあれば
闘牛士はもはや猛り立った牛の角に突きまくられ、蹂躙されることになるわけですが、
広いアリーナにあってはそうした点に対するリスクヘッジはなしようがないという…。
とまれ、そうした熱狂の様に思いを馳せている折も折、
今度はそうした状況を音楽で表現した曲を聴くところとなりました。
以前の職場で、明治学院大学オケのOBの人からチケットがまわってきた
明治学院大学創立50周年記念演奏会@サントリーホールでのこと。
プログラムの最後を飾るのが、祝祭的な意味合いを込めてでしょうか、
レスピーギの交響詩「ローマの祭り」だったのでありますよ。
曲は4つの部分(4つの祭りの描写)から成っていて、
その最初が「チェルチェンセス」という古代ローマのお祭り。
暴君として有名な皇帝ネロが行った祭りとされていますけれど、
時には輝かしく、時には狂暴なイメージを伝えるにうってつけである金管の咆哮が
いかにもなようすを描写しているのですね。
それが創立50周年という、OB・現役織り交ぜてサントリーホールのステージを埋め尽くす
特別編成の大オーケストラがライブならではの爆演で「ローマの祭り」を聴かせてくれました。
何しろアンコールの時には、バンダも含めてトランペットが17本くらいいたのではないですかね。
狂暴さもひとしおと想像いただけるのではないかと。
そんなわけで、コロッセオの熱狂たるやかくあらんと思う想像を
音楽でもって増幅させられたのでありました。