東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム
で開催中の「風景画の誕生」展に出かけてきたのですね。
ウィーン美術史美術館の所蔵品でもって構成されたテーマ展ですけれど、
これまで3度ほど覗いたウィーンの美術館で、直近では2009年にかなり丹念に見てきたつもりながら、
今回展でやってきた作品にはほとんど目を止めていなかったのかも。
まあ、大きな美術館ですから、全ての作品にお目にかかれていたとは思いませんですが。
ところで、つい先日「幕末明治の浮世絵探訪」@八王子市夢美術館
を見てきました折、
「浮世絵は世につれ、世につられ…」てなことを言いましたけれど、どうもこれは浮世絵に限らず、
西洋絵画にもそうしたことは言えるわけですなあ。
と、ここで以前読んだ「偽装された自画像」の中から、ちと長くなりますが引用を。
「風俗画が…」で始まる文章ですが、「風景画」にも大いに関わることでありまして。
風俗画が誕生したのは、十七世紀のオランダだとされている。そればかりか、風景画や静物画もこの時代のオランダで誕生した。
・・・なぜ十七世紀の、それもオランダだったのだろう。・・・十七世紀の美術に最も大きな影響を与えたのは宗教改革であった。風俗画や風景画や静物画がさかんに描かれた背景にも、やはり宗教改革の影響があったのである。・・・プロテスタントが優勢となったオランダでは、偶像崇拝の禁止という聖書の教えに忠実に従った結果、宗教画が描かれる機会が激減した。宗教画の中心となるキリストや聖人像の需要がほとんどなくなってしまったのだ。
…そこでたとえば放蕩息子のような教訓的な主題が好んで取り上げられたわけだが、ここから酒場の情景だけが独立すると、それはそのまま風俗画ということになる。風景画や静物画も同じように、宗教画や歴史画の一部が独立して描かれるようになって成立したものである。
宗教改革以前の絵画の主題は確かに宗教画が多く、
画家はそれでもって生業を立てていたところもありましょう。
それが描けない、描きにくい風潮が現出したとなれば、方針転換は已む無し。
ですが、例えば「風景画」を考えた場合に、
画家は本当に仕方なしの方針転換だったのか…というと、どうもそうとばかりはいえないような。
本展フライヤーに配されたのはヨアヒム・パティニョールの「聖カタリナの車輪の奇跡」という作品。
タイトルからして間違いなく宗教画の範疇でありましょうけれど、
宗教的な要素は極めて小さく描き込まれていますね。
絵の右上から左下へ対角に区切ってみた場合、
画家が描きたかったのは果たしてどちら?と思えてきます。
ちなみに「風景画家」に相当するドイツ語が初めて使われたと考えられているのは、
1521年5月5日、アルブレヒト・デューラーの日記によるのだそうで。
デューラーが結婚式に呼ばれた相手に対して「風景画家」という言葉を使っているのですが、
この相手というのがヨアヒム・パティニョールであったという。
先の「聖カタリナの車輪の奇跡」は1515年以前の作品(つまりは宗教改革以前)ですけれど、
それから数年後には「風景画家」と(それまで誰も言われたことのなさそうな)呼ばれようをしている。
これはパティニョールという人が
元々風景を大きく配して絵を描く(そういう絵を描きたいと考えた?)画家であった
と考えたくなるところですよね。
もっとも宗教画に風景を描きこむこと自体はパティニョール以前にもたくさんあって、
本展でもいろいろと見られますけれど、やはり添え物の感は拭えないような。
ホーホストラーテンの(無名)画家の作とされる「聖母子と聖カタリナと聖バルバラ」(1510年頃)は、
描く人物のアトリビュートを描き込むために配した背景とも思われるますし、
イェルク・ブロイの「五色鶸と聖母子」(1523年頃)では背景とした景色の中に
小さく復活したキリストの出現が描かれて、一枚の絵の中に物語性を表出してますが、
この場合の風景はそうした物語性を描き込むための舞台装置の役割でもあろうかと。
ただこうした場合にも単に背景としての風景を描きながら、
画家としては感じるところがあったのではないですかね。
それまでの宗教画、神話画では
メインの画題ともども理想化したものを描くことに専念していたと思いますが、
そこにあるがままで美しい風景というものを思い切り写し取ってみたい…てなことを。
結果的にもせよ、
そうしたことが可能な(それでは食っていけなかったのが、それで食えるようになってきた)
方向へ世は移っていくわけですが、そのことによって画家の技量の幅は
また大きく広がっていったことでしょう。
一方で、本展がクローズアップするのは「月暦画」というもの。
一年12ヵ月の農事暦を表したりしているものですけれど、
当然にして屋外風景の中での農作業が描かれます。
こうした作品もまた「風景画」の確立には、なるほど寄与したのでありましょうね。
ルーカス・ファン・ファルケンボルフの「夏の風景(7月または8月)」(1585年)なども
右奥に開けた景色の遠望が見事で、そちらの方にばかり目を奪われることになると、
画題の本来からすれば失敗作なのかも…と思ってしまったりするところでありますよ。
ということで、またしてもテーマを持った展示の楽しみ触れた展覧会なのでありました。