タイトルからして、映画「複製された男」はてっきりSFベースの話だと思い込んでおりました。
複製されちゃうということは、クローンとかそういう系統の話であろうと。


複製された男 [DVD]/ジェイク・ギレンホール,メラニー・ロラン,サラ・ガドン


ですから最後の最後になれば、得心のいくものであるかどうかは別として
SF的な解決が示され、「そういうことであったか…」となるものと信じて疑わず見ていたわけです。


ところが、説明めいたことはいっさい無いままにあっけなく終わってしまった。
正直言って「これで終わり…」と思ったものでありますよ。


ですが、見終わってから何とはなしに反芻してみるに及んで、
もちろんその頃にはSFではなかったのだと理解をした上でですが、
「するめは噛めば噛むほど」的な味わいと言いますか、
勝手な解釈に思いを巡らすことができるという点でお楽しみが後から来る映画なのだなと

思うに至ったのでして。


ジェイク・ギレンホール(近頃は実際の発音に近いとされるジレンホールとも)が二役で演じる
アダムとアントニーは見た目が瓜二つなばかりか、奥さんでも間違える声を持っているのですね。

こうした設定は見始めたばかりでは大いにクローンか何かだろうとの思いを後押ししてくれます。


アダムは大学で歴史講師をしており、独身で彼女のメアリー(メラニー・ロラン)とそれなりの関係。
アントニーは売れない俳優で、奥さんのヘレン(サラ・ガドン)は妊娠6ヵ月という。
両者の性格は異なっていて、要するに容貌や声以外では似ているところはなさそうな…

となってくると、クローンでは何もかもが同じになるはずですから、

もしかして幼いときに生き別れた双子?かとも。


ですが、アダムがはっきり尋ねたわけではないものの、母親(イザベラ・ロッセリーニ)は
大事な一人息子であることを強調していたやに思いますので、双子ということはなかろうと。


となると…と、ここからはいわゆるネタばれ領域に入るわけですが、
厳密にはネタばれでも何でもないですね。
何しろ映画の中でタネ明かし的なことはされず、見た者の勝手な想像なのですから。


そうは言っても、これから見ようと思っておられる方もおいでと思いますので、
ここから先をお読みになると先入観が出来てしまうかもということをご承知おきくださいまし。


まずもってアダムとアントニーはひとりの人物であって、
二重人格者なのであろうと考えるのはたどり着きやすいところかと。

原作小説の英訳タイトルが「The Double」でありますし。


さきほど触れた性格が異なる点はあたかも二人の人物のように見せることになりますけれど、
いずれもブルーベリーに対する反応が個性的である点もまたヒントになりますですね。

アダムは忌避し、アントニーは執着するブルーベリーは母親との関わりを写す鏡のようなもの。


で、アダムとの関わりでしか母親は画面に登場しないものの、どちらの母親も同一人物、
何しろ息子はアダム=アントニーという一人しかいないのですから。


では、ひとりとなったところで、その実在性の問題が出てきます。
映画の中ではアダムにはアダムの生活が、アントニーにはアントニーの生活があるようすが
描かれますけれど、交互に(といっても不規則に)現われる二つの人格それぞれに

何とか破綻なく二重生活を送っているということなのでしょう。


しかしながら、これが破綻なくというのは余りに偶然に頼りすぎでもあるわけで、
そう考えるとアダムとアントニーという二重の人格には緩衝地帯があるのではと思うわけです。


アダム側にもアントニー側にも寄り過ぎない第三の人格といいますか、
おそらくはそれが地の人格であって、いずれかに偏ったときには埋没してしまうけれど、
時折我に返っては状況の修復に当たるといったような部分ではないですかね。


アメリカのアニメーションで、登場人物の頭の左右に小さな悪魔と天使が現われて
いわゆる悪いことや無謀な冒険などなどを悪魔が唆す反面、天使が諌めるという場面が
よく出てきますですね。


第三の地の人格にとってアダムとアントニーとは
左右それぞれの耳に互いの主張を吹き込む天使と悪魔(どちらがどちらではありませんが)の
ようなもので、時にはアダムに傾き、時にはアントニーに傾いてその人格に入り込んでしまうと
他の人格のことはすっとんでしまうと。


この映画に関しては実にいろいろな解釈が開陳されていて、
最後に残ったのはアダムの方であるとか、アントニーであるのかとか言われたりしますけれど、
最後に残ったのは第三の地の人格であると思うのですよね。


ですがそうでありながらも、どうしてもまたちらりと違う人格部分が顔を覗かせることがあり、
最後の最後に至って「これで終わり…」というシーンがああなるのは、それ故であるとなりましょう。


と、先に「先入観が云々」とお断りはしたものの、
それでも映画の中の素材を全て曝してしまうことはしていませんので、
ご覧になったことの無い方にはなにやらさっぱりの内容になってしまいましたですね。


要するに、見終えてストレートに「ああ、楽しかった」ではない映画、
見ている間も見終わってからも頭を捻って読み解く映画だということを、
SFだと勘違いしていた者としてはお知らせしておこうかと思ったのでありました。


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