落語「三軒長屋」を柳亭市馬で聴いていた(といってもTV)のですが、
こんなふうなやりとりが出てきましたなあ。
兄貴分が若い衆に「みんな、二階(にけえ)に上がった、上がった!」。
ぞろぞろと二階に上がっていく者たちに交じって与太も階段を上り始めると
「おお、与太、おめえはこっちでいいんだ。下でお燗番だよ」と兄貴分。
与太が「だって、みんな上がれと言ったじゃねえか」を返すのを聞いた兄貴分、
「つべこべ言ってねえで、早く降りて来い!」とどやし付けるのでありますよ。
まあ、ここが落語の本筋でもありませんから、いちいち引っかかることはないわけながら、
「つべこべ言うな」のところにちょっとした引っ掛かりが。
何らかの関係において、上位者が下位者に対して
「こうしなさい」とか「ああした方がいい」とか示唆するときに
下位者の側から思わぬ反応(反論)があったりした場合に「つべこべ言わずに…」が登場しますね。
端的な例は親子の関係において、親から子へ向かって言ったり。
類似の表現では「とやかく言わずに」、「四の五の言わずに」、「あれこれ言わずに」、
「ぐだぐだ言わずに」…と、枚挙に遑なしとまでは言いませんがたくさんあるわけで、
それだけ使われる頻度のある表現なのだろうと思います。
翻って、例えば「つべこべ言わない」子供がいたとすると、
聞き分けのよい素直な良い子と目されたりするところながら、
こうした子供のありようをとらえるのに日米では大きく開きがあることは
以前、パトリック・ハーランがTVで言っていたこと を引いたことがありましたですね。
とまれ、一見「聞き分けのよい素直な良い子」と目される子供がいたとして、
実はその子の内側にはどのような思いが渦巻いているのかをあまり考えることはありませんね、
一般には。
だからこそ心の内側を覗いてみればといった小説が昔も今も書かれたりするのでしょうけれど、それはともかく日本人では「取り敢えず黙って聞いとこう」という心性(とは大袈裟か)が
結構根付いていたりするような気がしないでもない。
反面、たまさかにもせよ上位者の側に立った者たちにすれば
先の落語の兄貴分ではありませんが、「つべこべ言わずにいろ」と思ってしまいがちなのかもですね。
ですが繰り返しになりますが、その場では黙っても
実は何を考えているのか分からないところがあるというのが日本人でもありますから、
そこのところに思いを馳せる必要はあるでしょうねえ。
ましてや上位者側の言い分にほころびがあるにもかかわらず、
「黙って聞いとけ」的な言動が見えてきては、本人的に上位にあるなんつう意識は
およそ共有されないことになりましょう。
ここでは話を分かりやすくするために上位、下位てな区分けを使いましたけれど
絶対的にえらい、えらくないという関係は無いわけで、
それを勘違いしてしまって「黙って聞いとけ」的になってしまうような人物は、
役割上大きな権限を与えられる立場(それをもってえらいんだと勘違いするのでしょうが)に
置いてはいけないところながら、どうやら本気でただただ「黙って聞いてしまう」方々もいるようで。
そうでなければ、永田町あたりが今のようなことにはなっていないでしょうから…。