中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

季刊誌『横濱』新春号の特集は~イギリスと横浜~

2018年01月22日 | レトロ探偵団

 遅ればせながら季刊誌『横濱』新春号を読み終えました。今回の特集は≪イギリスと横浜≫です。
 イギリス関連の人物や建物、スポットなどが紹介されています。私が引き込まれた記事は「英連邦戦死者墓地」の部分。今までに一度しか行ったことのない場所ですが、花の咲くころに訊ねてみたいと思いました。

 イギリスと横浜。
 自分ならこんなものを取り上げたいと思ったものを、少し紹介いたしますね。


 新港ふ頭。
 この先端にイギリス製のクレーンがあります。大正3年に建設されたというので、100年以上の歴史を持つ偉大な構造物です。


 その形が金槌に似ていることから、一般的に≪ハンマーヘッドクレーン≫と呼ばれています。しかし、昔を知る古老から聞いた話では、これを≪ジョン・ブルおじさん≫と呼んでいたといいます。
 ジョン・ブルというのは典型的なイギリス人のことだとか。こちらの愛称の方が、なんだか親しみがありますよね。


 さて、今回の『横濱』新春号を眺めていたら、志澤さんが連載「横浜港物語」のなかで、ハンマーヘッドクレーンのことを取りあげていました。
 写真はクライド川フィンネストン岸壁で撮影したもので、コーワン・シェルドン社製とのキャプションが付いています。

 ところで、私が勉強をさせてもらっている「週刊 横濱80’」という凄いブログがあるのですが、そこに新港ふ頭のハンマーヘッドクレーンの記事が出てきます。
 いろいろ掲載されている写真をよく見ると、クレーンを製造したメーカーの名前が浮かび上がってきます。
 そこには「COWANS SHELDON」という会社名が記されていました。

 同じ会社ですね。だからなんだ、と言われてしまうと困るのですが、姉妹都市ならぬ姉妹クレーンだったというだけの話しです……


 さて、こちらは開港資料館。


 旧館(資料館ではない方)の壁に嵌め込まれている名板。


 薩英戦争で犠牲になったイギリス将兵を記念する板だそうです。


 あの戦争で亡くなったのは、将校の50代は別にして、兵士はすべて10代~20代でした。まだ若いのにねえ、さぞかし無念だったでしょう。


 こちらは関東大震災で亡くなったイギリス人のために造られた記念板。
 板の四辺を囲む雷紋が、まるでラーメンのドンブリのようです。


 現在の開港資料館は、昔のイギリス領事館だったのですが、その領事が普段住んでいたのは谷戸坂の上、港の見える丘公園の一画にある洋館(現・イギリス館)でした。
 写真はその建物の外壁。1937という数字は、この建物が建てられた年。GRはイギリス国王の名前ジョージですが、その真ん中にⅥという数字が入っているので、これはジョージ6世を意味しています。

 イギリスでは、建物を建てたときに、このようなマークを付けるそうです。


 イギリス館内の厨房。


 かつて、といっても領事が住んでいたころではなく、我々がよくここでコンサートをやっていたころの話ですが、この厨房を使って軽食をつくり、音楽会の合間にワインと一緒にサンドイッチやオードブルを愉しんでいただいたものです。
 今じゃあ、そんなことはご法度なのかなぁ…


 イギリス館の前庭にそびえるヤシの木。


 なんでヤシの木が植わっているんだろう……

 再び開港資料館に戻って、外壁を眺めていくと、ここにもGRのサインがありました。


 

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