ぎっくり腰報告書(禁煙1121日目)
生まれて初めて『ぎっくり腰』をやってしまったので、下記の通り報告します。
【経過】
7月25日(月)午前、自宅トレーニングルームにて、立ってチューブトレーニング(片手ずつクロールのキャッチの練習)中に発症。
「ぱきっーーーん」
鋭く激しい痛みが背中の中央を走る。次の瞬間、立って居られずベッドに倒れこむ。
しばらく寝ていると激痛は治まるが、背中、腰に力が入らない。腰を捻ろうとすると強い痛みを感じる。
おそるおそる『キャット&ドッグ・ストレッチ』をおこなう。前後の腰の動きでは痛みはほとんどない。腰と胸椎を左右に捻るストレッチをおこなうが、やっぱり痛みがあり捻ることができない。半日、安静に過ごす。
しかし、その日は休日の『筋トレの日』だったので、午後から思いっきり筋トレをおこなう。ダンベルの重みが腰に響く。いやな予感がする。
同17時より子ども水泳教室の指導へ。レッスン前に泳いでみると、①ドルフィンキック→8割出力OK。②バタフライ→OK。③平泳ぎ→ゆっくりなら全然OK。④クロール、背泳ぎ→×(身体を捻る動作が出来ない)
帰宅後、夕食→風呂→ストレッチ。腰痛に効くという『膝たおしストレッチ』を左右ゆっくり数回おこなうが、改善みられず。最近ハマッている『青りんご酎ハイ(350ml)』を飲んで就寝する。就寝中、寝返り困難。寝返りのたびに痛みがあるので熟睡できず。
7月26日(火)、7時起床。腰の痛み 、脱力感(腰に力が入らない感じ)、昨日と変わらず。本日全ての活動を中止する。関係各所に連絡をして、一日安静にする。
同19時、腰の痛みが軽減。ストレッチおこなう。
同23時、『青りんご酎ハイ』を飲んで就寝。寝返り時、痛みナシ。
7月27日(水)、痛みはほとんどなく、90%完治。職場に復帰する。帰りに量販店で『青りんご酎ハイ』2ケース購入する。駐車場にて、再び腰に違和感アリ。
(※結局、ぎっくり腰の後遺症的な痛みは7月いっぱい続いた。)
【まとめ】
ぎっくり腰は天災と同じで、突然やってきます。私のように、日常的に体幹トレーニングをやっていてもこの有様です。今回の場合は、立位でトレーニング中、油断して腹圧が抜けていたのが原因だと考えられます。それと、トレーニング前のストレッチも怠っていました。反省です。
また、ぎっくり腰をやった後のケアですが、先輩スイマー(ぎっくり腰経験者)の話によると、2~3日は絶対安静にしなければ治らない、との事。車の運転や筋トレは絶対にNG、だそうです。それと、重いものを持つのもダメみたいですよ。
金毘羅祭りといえば母のコノシロ寿司です
余った酢飯で僕が握りを作る。ビンチョウマグロとサーモンのブロックを買ってきて寿司ネタに切る。玉子焼きは、卵L5個、出汁90cc(白だし15cc、水75ccでOK)、薄口醤油ちょびっと、砂糖をどばっどばっ(大さじ2)に塩をぱらり(小さじ1/2)をボウルで混ぜ、くるくる巻きながら焼き上げる。
ネタの用意が出来たら、あとは握るだけ。左手の親指と人差し指でネタをつまみ上げ、右手でシャリを掴む。シャリは約20g。右手の中でやわらかふっくらに整形しつつ、右手の人差し指にわさびをたっぷりつけ、左手につまんでるネタに練りつける。そこにシャリを乗せ、左手の指の平と右手の親指、人差し指、中指で軽く押さえる。寿司をくるっと返して押さえる、くるっと返して押さえるを2~3回繰り返しながら握っていく。ギョク(玉子)も同様に握り、全形の半分を細くきった海苔で巻いて完成。
僕「母さん、庭からアレを採ってきて下さい」
母「アレてなんね?」
僕「アレたい、アレ!」
最後に『難を転じる』南天の葉を飾って。
『ショートカット』(柴崎友香著)を読んで
合コンの席上、「なあ、おれ、ワープできねんで、すごいやろ」と言うすごい奴が『なかちゃん』で、この本に収録されている短編すべてに登場します(が、主人公ではない)。
『なかちゃん』は大阪在住のおそらく20代くらいの男でカメラが趣味。バリカンで丸坊主にしたのがそのまま伸びて一ヶ月、というような髪型で、黒目ばっかりの丸い目。『なかちゃん』については謎が多く、小説内では神出鬼没。
2話目の『やさしさ』では、深夜のファミレス前で血まみれで登場。読者の度肝を抜きますが、持ち前の哀愁で読者と登場人物たちを癒してくれます。
表題作の『ショートカット』は大阪から東京表参道へ。なかちゃんがカメラマンで登場する『パーティ』は、大阪港からクルーザーで明石へ。『ポラロイド』は新宿御苑から遥かメキシコへ。『なかちゃん』をはじめとするショートカット?な登場人物たちが、柴崎友香ワールドをショートカットします。
著者入魂の短編集。柴崎友香を未読の方は是非一読を。
俳句のすすめ(禁煙468日目)
油断していたのは確かだ。昨夜、少し蒸し暑く、尻を出して寝てたのは浅はかで下品だったと認めよう。
しかしだ、ここは我が部屋、どんな格好で寝ようと、蚊ごときにとやかく言われる筋合いではない。にも関わらず、あの蚊の野郎はオレの尻を喰いやがった。
思い出すのも忌々しいが、最初に何か鋭い小さな痛みを感じた。おや、と思い尻に手をやると、腹をたっぷんたっぷんに太らせた茶色の蚊が、ふらふらと飛び去るところだった。
それからすぐに、激しい痒みが我が尻を襲ったのは言うまでもない。
だが、屈辱的だったのはそれだけではない。
尻を掻きながら気づいたのだが、なんと尻の右と左の二箇所がぷくんと腫れていたのだ。
おのれー、蚊奴め、尻の左右を喰いやがったな!
オレはついにキレた。正直に言おう。この時、はっきりとした殺意が芽生えていた。絶対に許してやるものかと。
逆上したオレは部屋の照明を付け、さっきの蚊を探したがいなかった。それから、武器になるようなものはないか部屋を見渡し、クイックルワイパーが良い感じだったのでクイックルワイパーを片手に、さっきの蚊が隠れていそうな所を片っ端から引っ掻き回した。しかし、やっぱり蚊は見つからなかった。
その時ふと、最近ハマっている俳句がポンと浮かんだのだ。いつもの習慣で、忘れない様にノートにメモする。
哀れ蚊にケツを喰われて我哀れ
『哀れ蚊』とは秋の季語で、弱々しく人を刺す力もない季節外れの蚊の事。確か太宰治に同名の短編小説があった筈。そんな切なげな句がふっと湧いてでたのだ。
すると不思議な事に、さっきまでの殺意や憎しみが消え、心がほんわかしているのに気づいた。それどころか、さっきの蚊に、「拙者の小汚い尻を喰ってくれてありがとう。お蔭様で良い句が出来ました」と心から感謝している自分がいた。
何故か、痒みもすーっと引いていくのがわかった。
あとで分析して見ると、俳句というのは、自分や自分を取り巻く宇宙を心で感じて五七五の言葉に紡ぐ文芸。
大きな心、澄んだ心で宇宙を感じる事によって、哀れな蚊に対する瑣末な怒りの感情など消え、宇宙の命の営みに喜びを感じたのかもしれない。世界は一つ、互いに慈しみ合わなければならない。今回は俳句でそれを教えてもらった。世界中の人が俳句を捻れば、戦争なんてなくなるのではないか、とさえ思う。
私はまだ下手クソな句しか作れないが、これからも俳句を続けていこう。そう思った十月の朝であった。
でもやっぱ、ケツ痒いわ。