ところで、欧米のカクテルブックでマンハッタンが初めて活字になったのは、従来は1887年に米国で出版されたカクテルブック「How To Mix Drinks」の改訂版(※著者は「カクテルの父」の異名を持つジェリー・トーマス<Jerry Thomas 1830~1885>で、死去の2年後に発刊)であると言われてきました。
だが近年の研究で、1884年に同じ米国で出版された2冊のカクテルブック、「The Modern Bartenders' guide」(バイロン<O. H. Byron>名義=末尾【注】ご参照)、「How To Mix Drinks:Bar Keepers’Guide」(ジョージ・ウインター<George Winter>著)が初出資料であることが有力になってきました。
バイロンやウインターの本はその存在は知られていましたが、近年まで絶版になっており、研究の対象として人目に触れる機会はほとんどありませんでした。しかし2000年以降に復刻版が刊行され、米国の著名なバーテンダー&カクテル研究者のデイル・デグロフ氏や、「The Manhattan:The Story of the First Modern Cocktail」(2016年刊)の著者フィリップ・グリーン氏によって、「トーマスの著書よりも3年早く」マンハッタンが紹介されていることが確認されました。
・「Cocktails by “Jimmy” late of Ciro's」(1930年刊)米
ライ・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、レモン・ピール ※「Ciro's」とは、ハリー・マッケルホーンもパリで「Harry's New York Bar」を開業・独立するまで働いていたロンドンの高級クラブ「The Ciro's Club」のことです。
・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイアー著 1934年刊)仏
ライ・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット4分の1、ドライ・ベルモット4分の1、
・「World Drinks and How To Mix Them」(ウィリアム・T・ブースビー著、1934年刊)米
ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash、アンゴスチュラ・ビターズ1drop、飾り=マラスキーノ・チェリー
・「The Official Mixer's Manual」(パトリック・ギャヴィン・ダフィー著、1934年刊)米
ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット6分の1、ドライ・ベルモット6分の1、ビターズ1dash、飾り=マラスキーノ・チェリー
・「The Old Waldorf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米
ライ・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash
・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年初版刊)米
ライ(またはバーボン)・ウイスキー1.5onz(約45ml)、スイート・ベルモット4分の3onz(約22~23ml)、アンゴスチュラ・ビターズ1dash、飾り=チェリー
・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英
ライ(またはバーボン)・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・オレンジ・ビターズ1dash、飾り=マラスキーノ・チェリー
・「Trader Vic’s Book of Food and Drink」(ビクター・バージェロン著 1946年刊)米
バーボン(またはライ)・ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の2、アンゴスチュラ・ビターズ1dash、マラスキーノ1dash、飾り=マラスキーノ・チェリー
上記のように、ウイスキーの割合が多くなる、すなわち辛口のマンハッタンが登場するのは、ハリー・マッケルホーンの名著「ABC of Mixing Cocktails」(1919年刊)が初めてです(レシピは、「ライ・ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、アンゴスチュラ・ビターズ1dash)。そして1930年代以降は、徐々にウイスキーの割合が多くなる「ドライ化」が進んでいきます。
【注】著者である「O.H.Byron」について、復刻版の編者であるブライアン・レア(Brian F Rea)氏は復刻版の前書きで「バイロン氏は作家、研究者、バーテンダーとして同時代に存在した歴史的資料がなく、おそらくはこの本(原著)を出版した出版社の編集者自身のペンネームか、あるいは(出版社が考えた)架空の人物ではないか」と記しています。しかし、だからと言って、この本の歴史的価値が下がることは一切ありません。