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酒折連歌賞「問いの片歌」が発表されました(2017-03-30 記事)を書いていたのでフォローしておきます。
問いの片歌は、次の5つの句です。募集期間は4月1日から9月末まで
 「百年を考えている夏目漱石」
 「森へ入る儀式のように小声で歌う」
 「手を洗う水に季節の移ろいを知る」
 「十字路で迷子になった小さな羊」
 「ニホニウム113をはじまりとして」

酒折連歌賞公式サイト で第十九回酒折連歌賞の詳細をご確認ください。

第十九回酒折連歌賞「問いの片歌」記者発表~「答えの片歌」の募集要項等を発表~(山梨学院ニュースファイル) に酒折連歌について詳しい解説も書かれています。
 「酒折連歌」と名づけているものは、5・7・7の問いの片歌に対して5・7・7の答えの片歌の問答形式になっている。

第十九回酒折連歌賞「問いの片歌」記者発表が行われました(2017年3月31日 山梨学院大学ページ)
 酒折連歌賞は、多くの人に連歌に興味・関心を持ち、連歌を蘇らせ文化の振興、文化の創造に資することを目的に1998年(平成10年)、山梨学院大学が母体になり創設されました。

酒折宮 (サカオリノミヤ 左下の ENTER ボタンからページに入れます)

酒折連歌賞のサイトから引用しておきます・・・
【問】 新治(にひばり) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる (新治・筑波の地を過ぎて、ここまで幾晩寝たのか)
【答】 かがなべて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を (日数を重ねて、夜では九夜、昼では十日~九泊十日~)
 4・7・ 7の片歌で問いかけたところ、5・7・7の片歌で答えた片歌問答になり、これが連歌の起源とされたことから、酒折が連歌の発祥の地といわれるにいたりました。片歌問答の 基本となる音数は5・7・7(問い)、5・7・7(答え)ですが、これはその後の短連歌や長連歌の形式とは異なるものです。
古文などに全く無知な私ですが、古事記の原典を確認してみたい・・・日本武尊ヤマトタケルの蝦夷(えみし、えびす、えぞ)遠征ルートなど・・・キーワードは「景行天皇」らしい

 1.酒折の住民(焚火番)が新治・筑波を経由して酒折まで9泊10日と知っていたことにも驚かされます。「甲斐の国」は「交(かい)の国」とも言える各地との交通の要所だったとの話を聞いたことがあるのですが、古代にも既に甲斐の住人は周辺とも行き来していた証しにもなりそうです。

 2.茨城県(常陸の国)で新治とは何処かを確認しました。検索で到達したのが Wikipedia 新治国古代律令制以前に、現在の茨城県西部に存在した新治国のこと。大化の改新以後の律令制下では常陸国新治郡となる。『古事記』の倭建命(やまとたけるのみこと)の歌に邇比婆利(にひばり)とある。2006年(平成18年)まで存続していた近世の茨城県新治郡(にいはりぐん)とは新治の呼称こそ同じであるが別。、「古代の新治は筑波山の北」との記事もありました。それなら新治-筑波との順序が理解できます。
筑波については問題無いです・・『現在のつくば市とつくばみらい市を合わせた区域にほぼ相当する』(Wikipedia 筑波郡

 3.「かがなべて」が2.では「日々並べて」と書かれています。現代語で「日数を重ねて」となる意味は判りました。が、「なべて」は「1.全体が同じような状態・程度であるさま。総じて。おしなべて。」「2.普通であるさま」(国語辞書 - 大辞泉)のようです。
この部分の解釈には異論があるようで、下の「其の一」と「其の二」です・・・
さらに、古事記だけではなく日本書紀にも酒折連歌発祥について書かれているようです・・・
◇ 日本書紀・景行天皇(三十五)新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる | 古事記・酒折宮での老人と歌
ヤマトタケル東征後の筑波問答「かがなべて」歌について 其の一
ヤマトタケル東征後の筑波問答「かがなべて」歌について 其の二

いつか時間がある時にでも古事記、日本書紀とも原典を確認してみます。「筑波の道」とも呼ばれる連歌、
「道」という理念がここにもあったことに気付いたのが一番の収穫として今回は終ります。


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