秋の七草が最初に登場するのは『万葉集』山上憶良の歌による。
秋の野に咲きたる花を指折り
かき数うれば七種の花
萩の花 尾花葛花 撫子の花
女郎花 また藤袴 朝顔の花
とある。当時は桔梗の代りに「朝顔」が数えられていた。
この憶良の秋の七草を異にし、「百花園」創設者の佐原鞠塢(きくう)は別の花を上げている。
ねりの花 ごじ
ゆうがお おしろい花
たまずきは ひおうぎ
書くりんどうの花
註:ねり…とろろあおい
ごじ…午時花
たまずきは…からすうり
がいいという。
午時花は午時に咲くのでその名が付いたらしい。
夕顔やトロロアオイ、烏瓜、白粉花を好んだという鞠塢(きくう)という人の粋のようなものを脳裏に描いてみた。
この佐原鞠塢(きくう)、仙台生まれで、成人後、江戸に出て芝居茶屋に奉公し、ついで日本橋に骨董商を営んで財をなし、この間に多くの文化人の知遇を得たという。現在の東京の名所・旧跡の多くは武家のもの、明治以後の華族のものが多いが、町人が造った庭園ということでも、この百花園は異質な存在かと思った。
この百花園内の茶店は佐原家のもので、ここの亭主も鞠塢から数代目の主人らしい。
そんなことを耳にして甘酒を飲みに行ってみると、なるほど、額から眉のあたりに鞠塢の面影を遺しているのかも。。。