阿蘇では、野焼き真っ盛りの時期です。


こんな風に、あちこちから煙や炎が立ち上ります。


焼いた後のススと言うか、灰というか、そんなものも


我が家に飛んで来ていました。









えー、ご報告です。



何度かこのブログでも書いたと


思うのですが・・・僕たちの足跡。



2010  12/30  福岡のマンションを引き払って

            阿蘇の立野に引っ越して行きました。


2013  3/末   阿蘇を離れて、福岡の春日市に戻って

            来ました。


      8/末   春日市から、仕事の都合でここ小倉に

            引っ越して来ました。



そして、小倉で仕事をしておりましたが、


熊本への転勤を命じられ、再び熊本へ


引っ越すこととなりました。



マンションの契約のこと。パソコンのこと。


ガス電気水道。


そして、引っ越しの荷造り。



引っ越し貧乏の極みであります。


何の償いか、何のたたりか、・・・


なんて考えると、きっといいことないと


思うので、出来るだけ考えないように


しようとは思っていますが、


資金的余裕の全くない、貧乏人の弱み。


受け入れざるを得ません。



動くとなんだかんだと、お金を使うので、


正直今は、動きたくはありませんでした。


しかも、熊本ですよ。


熊本、と言っても、熊本駅のすぐ前だそうです。


いえ、熊本が嫌なんじゃなくて、


動くことに抵抗があったのです。



一般的な常識の範囲で考えると、


職場の転勤だから、引っ越し費用は


掛からない、と思うでしょ。


ところが、ギッチョンチョン。



この今の、寮長寮母の仕事は、


家財道具が無くて、ペットなど飼ってなくて、


スーツケース一つで動けるような


駆け落ちカップルのような、それも、若くない、


60歳以上の老年カップル、のような人にしか


務まらない組織なのです。



もちろん、僕たちは全くこの条件には


当てはまらないのですが、


なぜか採用されてしまって、


行きがかり上、生活の手段として


今日まで何とか続きました。



生活の手段が他にあれば、


当然ですが、転勤などしていません。


退職していたところです。



二日前に転勤を命じられたり、


一週間前に、契約解除を突き付けられたり、


そういう職場なのです。


まー分かりやすく言うと、


寮長寮母なんて、表面上は立てていますが、


組織の正職員から見れば、


使用人の扱いなんですよ。


こちらの都合なんて、全くお構いなしに、


突然、色んな事が決まり、突然いろんな人が


やって来て、あーだこーだ、好き勝手なことを


言って、帰って行きます。


計画的に、寮内の仕事を進めようとしても、


まず、計画通りに事が運ぶことはありませんでした。



ま、いいか。



そんな組織でも、そこに所属して


収入を得る以上は、


働かせてもらえることに感謝し、


今日もご飯が食べられることに


感謝しなければなりません。


いや、そういう感謝の気持ちは、


ずっと持ち続けています。



でもね・・・


とは言ってもね・・・


僕らのような、凡人と言うか、


煩悩の塊、のような人間には、


いささか、面白くないことばかりの


毎日なのであります。



いつになったら


春は来るのでしょうか。



「明けない夜は無い」だとか、


「雨はきっと上がる」だとか、


「禍福はあざなえる一本の縄のごとし」


だとか、


「人間万事塞翁が馬」だとか、


「越えられない障害は与えられない」


などなど、言います。



だけど・・・


それを乗り越えようとしている人が、


どれほどの苦痛を味わっているか、


それは、そういう経験をした人にしか


分からない苦痛なのです。



軽々しい気休めを


言われたくはありません。



こうして、こうすりゃこうなると


知りつつこうしてこうなった。



これまで自分たちがやって来た


そのことの結果として、今が


あるのだから、


そのまんま、受け入れて


希望を持って生きて行くしか


ないのでしょう。



今日の記事は


少し、シリアスでしかなぁ。



ではでは、小倉での更新は


これでおしまい。



次の更新は、今月末あたりかもね。





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