カテゴリ:国内旅行
■一泊で滋賀県に行った。■ 29日に、私は、夫と別行動で、ひとりで、近江八幡の町を見て廻った。 道を歩いていると「旧朝鮮人街道」という目印があった。 帰ってから調べてみると、次のようにあった。 江戸時代に、東国と京都を結ぶ道「中山道」があるが、それとは別に ■「朝鮮人街道」■ と呼ばれる街道がある。 豊臣秀吉の朝鮮侵略以後、断絶が続いていた日朝関係の回復を願った徳川家康は、対馬藩を通じて朝鮮へ幾度と使者を送り、国交の回復に努めました。 紆余曲折があったものの、慶長12年(1607年)、正式に使節を迎え入れることとなり、以後、文化8年(1811年)までの間、計12回の通信使が日本にやってきました(12回目は対馬で聘礼が行われたため、漢陽~江戸は11回)。 通信使の一行はソウルを出発しプサンより海路で対馬から瀬戸内海、淀川から京都へ到着、その後は陸路で中山道・東海道を通過し江戸を目指すという行程でその長さは約2000kmに及び、その期間は往復で約1年もの歳月を費やしました。 しかしながら、この長い道のりの中で「朝鮮人街道」と呼ばれるのは、不思議ながら現在の野洲町小篠原から安土・八幡を経て彦根市鳥居本までの約40kmに限られています(滋賀県内での通信使の行程は基本的には京都を発ち、大津で食事、守山で宿泊、翌日は、八幡で食事、彦根で宿泊という行程)。 織田信長が開いた「浜街道」は、 関ヶ原の戦いで勝利をおさめた徳川家康が京都上洛時に用い、 「朝鮮人街道」として朝鮮通信使が通った。 参勤交代には、使ってはいけない道だったのだそうだ。 10月28日■ルネ・ラリックの成田美術館■ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.11.19 01:53:10
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