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2015.01.26
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カテゴリ:父の麦わら帽子
藁ぶき屋根の大原 私が子どもの頃住んでいた、岡山の家には、典型的な農家だった。
入口を入ると土間があった。
私たちは、土間を「ニワ」とよんでいた。
ニワは、作業をする場所だった。
私たち一家は、そこで餅つきをした。
縄ない機が置いてあって、■縄をなった。
亥の子■の藁で出来たつちもニワで作った。
私が6歳の時に死んだ祖母が私の草履を作ってくれていたのも、かすかに覚えている。
から臼イラスト 父は、
「ここにカラウスがあった」とニワの端を指さして言ったことがある。
かつて精米は、カラウスを使って各家で行っていたのだ。
作業だけではなく、寒い時には、一斗缶を使って焚き火をした。
夏の暑い日や雨の日の子どもの遊び場になった。
私は、友だちと手まりや石なんごをしてあそんだ。
ボールが床下に転がり込んで這いながら探しに行ったことがある。

客の応対の場でもあった。
靴を脱がなくてもいいニワは、気楽に人が入ってこれるのだ。

そんなニワを見ながら父が言った。
「このニワは、ワシとお父(とう)が作ったんじゃ。」
私たち家族の家は、父がまだ17歳の頃、古材を買って、作ったものだった。
出来る所は全て、自分たちでやったのだが、ニワもそのひとつだったのだ。
「どうやって?」と私が聞くと
座敷の高さまで手を上げた父が
「このくらいまで、土を入れて、お父(とう)と叩いてしめたんじゃ。」
ただの土だったものが、叩くことによって、固くしまり、土埃の立たないニワにとなったのだ。

もともとはセメントがなかった時代に、地面を固めるために使われたとされる、三和土(たたき)。
父と祖父が作ったのは、その三和土(たたき)だった。

他の家では、セメントで作ったニワもあった。
明治10年生まれの祖父と明治45年生まれの父が昔ながらのやり方で作ったのは、最後の三和土(たたき)だったのかもしれない。

三和土(たたき)
三和土(たたき)は、「敲き土(たたきつち)」の略で、赤土・砂利などに消石灰とにがりを混ぜて練り、塗って敲き固めた素材。
3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」と書く。
土間の床に使われる。

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Last updated  2015.01.27 21:30:57
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