テーマ:懐かしい昔の話(539)
カテゴリ:父の麦わら帽子
私が子どもの頃住んでいた、岡山の家には、典型的な農家だった。
入口を入ると土間があった。 私たちは、土間を「ニワ」とよんでいた。 ニワは、作業をする場所だった。 私たち一家は、そこで餅つきをした。 ■縄ない機が置いてあって、■縄をなった。 ■亥の子■の藁で出来たつちもニワで作った。 私が6歳の時に死んだ祖母が私の草履を作ってくれていたのも、かすかに覚えている。 父は、 「ここにカラウスがあった」とニワの端を指さして言ったことがある。 かつて精米は、カラウスを使って各家で行っていたのだ。 作業だけではなく、寒い時には、一斗缶を使って焚き火をした。 夏の暑い日や雨の日の子どもの遊び場になった。 私は、友だちと手まりや石なんごをしてあそんだ。 ボールが床下に転がり込んで這いながら探しに行ったことがある。 客の応対の場でもあった。 靴を脱がなくてもいいニワは、気楽に人が入ってこれるのだ。 そんなニワを見ながら父が言った。 「このニワは、ワシとお父(とう)が作ったんじゃ。」 私たち家族の家は、父がまだ17歳の頃、古材を買って、作ったものだった。 出来る所は全て、自分たちでやったのだが、ニワもそのひとつだったのだ。 「どうやって?」と私が聞くと 座敷の高さまで手を上げた父が 「このくらいまで、土を入れて、お父(とう)と叩いてしめたんじゃ。」 ただの土だったものが、叩くことによって、固くしまり、土埃の立たないニワにとなったのだ。 もともとはセメントがなかった時代に、地面を固めるために使われたとされる、三和土(たたき)。 父と祖父が作ったのは、その三和土(たたき)だった。 他の家では、セメントで作ったニワもあった。 明治10年生まれの祖父と明治45年生まれの父が昔ながらのやり方で作ったのは、最後の三和土(たたき)だったのかもしれない。 三和土(たたき)は、「敲き土(たたきつち)」の略で、赤土・砂利などに消石灰とにがりを混ぜて練り、塗って敲き固めた素材。 3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」と書く。 土間の床に使われる。 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.27 21:30:57
コメント(0) | コメントを書く
[父の麦わら帽子] カテゴリの最新記事
|
|