カテゴリ:父の麦わら帽子
■「小学校に入学した時に、■ 洋服だったのは、私と町長の娘さんと、お医者さんの娘さんだけだったのよ」と夫の母親は得意げに言った。 夫の母、私の姑、真知子(仮名)は、93歳の今も一人で暮らしている。 彼女の父親が官吏だったので、真知子は子どもの時から、お嬢様として暮らしていた。 そんな恵まれた彼女に不幸が訪れたのは、彼女が女学校に入る前のこと。 彼女の父親が突然、病気になったのだ。 だんだんと悪くなる父親の病気。 真知子は心配になった。 「それで、私は、父に聞いたの。 『お父さん、私、女学校に行けるの?』と。」 彼女は続けて私に言った。 「そしたら、父がね 『心配せんでもいいよ。 女学校には行けるようにしているからな』と言(ゆ)うてくれたの。」 今の大学に行くよりも、当時の女学校は、経済的にもゆとりがないと行けない所だったのだろう。 才気煥発だった彼女は、女学校で勉強したいが、家の事情も気になり、病床の父親に聞いたという。 その後、真知子の父親は亡くなった。 彼女は、1900年創立という名門の女学校に入学した。 「私の行った女学校は、いい先輩と後輩がいるの」と彼女が言った。 先輩は歌人の与謝野晶子で 後輩は、脚本家の橋田壽賀子だ。 「勉強が出来たんでしょうね」と私が言うと 「負けず嫌いだったからね」と彼女は言う。 姑、真知子の女学生時代は、80年近く前のことだ。 今、朝の連続ドラマ■とと姉ちゃん■が放送されているが、同じ時代ではないだろうか。 彼女の人生で一番輝いていたのが女学校時代だろう。 女学校の話をする時の真知子は、嬉しそうだ。 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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