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2016.04.26
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カテゴリ:父の麦わら帽子
洋服の子
「小学校に入学した時に、
洋服だったのは、私と町長の娘さんと、お医者さんの娘さんだけだったのよ」と夫の母親は得意げに言った。
夫の母、私の姑、真知子(仮名)は、93歳の今も一人で暮らしている。
彼女の父親が官吏だったので、真知子は子どもの時から、お嬢様として暮らしていた。
tieko そんな恵まれた彼女に不幸が訪れたのは、彼女が女学校に入る前のこと。
彼女の父親が突然、病気になったのだ。

だんだんと悪くなる父親の病気。
真知子は心配になった。

「それで、私は、父に聞いたの。
『お父さん、私、女学校に行けるの?』と。」

彼女は続けて私に言った。
「そしたら、父がね
『心配せんでもいいよ。
女学校には行けるようにしているからな』と言(ゆ)うてくれたの。」

今の大学に行くよりも、当時の女学校は、経済的にもゆとりがないと行けない所だったのだろう。
才気煥発だった彼女は、女学校で勉強したいが、家の事情も気になり、病床の父親に聞いたという。

その後、真知子の父親は亡くなった。
彼女は、1900年創立という名門の女学校に入学した。
matiko
「私の行った女学校は、いい先輩と後輩がいるの」と彼女が言った。
先輩は歌人の与謝野晶子で
後輩は、脚本家の橋田壽賀子だ。

「勉強が出来たんでしょうね」と私が言うと
「負けず嫌いだったからね」と彼女は言う。

姑、真知子の女学生時代は、80年近く前のことだ。
今、朝の連続ドラマ■とと姉ちゃん■が放送されているが、同じ時代ではないだろうか。

彼女の人生で一番輝いていたのが女学校時代だろう。
女学校の話をする時の真知子は、嬉しそうだ。
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Last updated  2016.04.26 22:57:07
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