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2016.05.25
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テーマ:■雑学王■(672)
カテゴリ:トリビア
段差

高低差がものすごい、■大津神社■の裏。

大津神社の由来は、「津」つまり、水だからきっと川があったに違いないと思っていた。
しかし、名前の由来は「津氏」の神社ということが分かった。

そして、10年ほど前に、ここに運河が流れていたことを知った。
今はなき運河の名は、「古市大溝(ふるいちおおみぞ)」。
   古市大溝は地表に残るわずかな痕跡や、発掘調査の成果を手掛かりにすると、富田林市の喜志附近で石川の水を取り入れ、羽曳野市の西浦から軽里、野々上、高鷲を経て、島泉附近で東除川(ひがしよげがわ)に合流していたことが推定される
幅20メートル、深さ5メートル以上の溝の両側には、さらに土手を築いたところもあり、人力だけで堅い大地を掘り開く、困難な大工事であったことが想像できる。
説明板『河内ふるさとのみち』より。

坂道
大津神社は、近鉄「高鷲駅」のすぐ南、この道の右側にうつっている緑の所にある。
そして、この写真の道の左側には、池がある。
「古市大溝」の名残りではないかという説に賛成!!

古市大溝は
全長4kmにもおよぶ古代の運河だった。
しかし、その用途は灌漑説、船運説
などがあり、意見の一致をみていない。
掘削時期については、古市古墳群の南群の築造と古市大溝は密接に関わっていたとして古墳時代中期の5世紀ごろに築かれたとする意見が一般的である。
だが、この大溝を掘削するのに破壊された古墳があることが明らかになってきており、6世紀中葉以降に掘削されたとの意見もある

  このような運河を作ることは、当時としては、古墳と同じくらいの国家プロジェクト。

今回の調査?で古市大溝の地形が残っている所があることを知った。
失われた川というのは、私の大好物。

灌漑説、船運説があるが、幅数メートル、深さ5メートルというのは、やはり船だろうと素人の私は勝手に思っている。

古市大溝
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Last updated  2016.05.25 22:20:06
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