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カテゴリ:国内旅行
■11月21日(火)
秋深し武蔵の里の水車小屋 天地 はるな 剣豪、宮本武蔵の生誕の地といわれる岡山県・大原町に行った。 写真は、武蔵の生家といわれる家の近くの川にある水車小屋。 吉川英冶の「宮本武蔵」が大河ドラマなどで放送され、大原の里は賑わったそうだ。 武蔵の銅像、宮本武蔵顕彰武蔵武道館、 宮本武蔵駅、 宮本武蔵生家跡、武蔵資料館、武蔵の里五輪坊・・・。 と武蔵のてんこ盛り。 吉川英治の小説「宮本武蔵」は読んでいないけれど、「宮本武蔵」を原作にした■漫画・バガボンド■を読んでいる。 「バガボンド」の意味は、漂流者だ。 宮本武蔵といえば、二刀流の剣の達人。 しかし、それだけではなく、彼は、書や絵を描くこと庭を造ることにも、才能を発揮したマルチな才人。 さぞかし、若い頃から、もてはやされていたのかと思いきや、生まれ故郷を追われるように全国を漂流するのだ。 ▲子供時代の武蔵(真ん中)と幼馴染。 武蔵は、子どもの頃、父親にも村人にも疎まれた。 (▲鎌坂峠を通って村を出た。) 立身出世を望んで、参加した関が原の戦いでは、負けた西軍についていたので、追われることになる。 久しぶりに帰った故郷でも、残党狩りという名目で村人達から非情な迫害を受ける。 (東軍として参戦したという説もある。) そんな中で武蔵は呟く。 「この世に生まれて・・・17年生きた。 何のために?」 「この先になにがある? 知るか・・・。 憎まれ、追われ、斬って、斬って斬りまくって、斬り死にするだろう。」 誰からも必要とされず、石を投げられる武蔵。 10代の武蔵の強さは、負のエネルギーから来るものだ。 そんな武蔵も今は、村の宝として■武蔵神社■ に祀られている。 (▲水車小屋の近くの「讃甘(さのも)神社」。 武蔵が幼年の頃よく遊んだ場所の一つで、お祭りの太鼓の左右の音が等しい事から二刀流を考えたと言われている場所。) 武蔵は、生誕天正12年(1584年)? といわれる。 天正10年(1582年)に生まれといわれる。 同じ頃生まれたのが石川 丈山 天正11年(1583年) 。 武蔵は、庭造りに才能を発揮したし、 石川丈山も武士をすて、文化人となり庭造りに才能を見せた。 石川丈山が詩仙道や■蓮華寺■を作ったことは有名。 関ケ原の戦いに参加した宮本武蔵に対して 石川丈山は大坂夏の陣に参加している。 武蔵は吉岡一門とのたたかいで有名だが、その舞台となったのが一条寺。 武士をやめ文化人として生きた石川丈山の住まいも■一条寺■。 あまりにも共通点の多いふたりは、 もし知り合っていて友だちだったらと妄想が止まらない。 ▲水車小屋の近くの碑。 ■宮本武蔵■ ■石川丈山■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.11.24 15:17:44
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