ポール・セザンヌ
Paul Cézanne
今日は、この〝近代絵画の父〟と称されるフランスを代表する画家の命日・没後110周年にあたります。
セザンヌは1839年に南フランスのエクス=アン=プロヴァンスという小さな町に生まれました。
父親は帽子の販売業を営み商売は順調、更に銀行を設立して成功したおかげで家庭は裕福でした。
しかし非常に厳格でもあったようで、長男のセザンヌは逆らえなかったようです。
中等学校時代、後に小説家として活躍するエミール・ゾラと親友になった彼は、詩や絵画の創作に興味を示すように。
10代後半から絵画教室に通い始めた彼は、やがて画家の道を目指そうと決心。
しかし父親の意向でエクス大学の法学部に進学していた彼は中々本心を言い出せず、やっと20歳の時に打ち明けるも理解は得られず・・・2年間の説得の末、半ば家を飛び出す形でパリに移住。
アカデミー・シュイスに入った彼は、ピサロやセザンヌ、モネ、ルノワール、ドガらと知り合いますが、人付き合いが苦手で引っ込み思案だったためパリの都会的な雰囲気が性に合わず、何度も故郷エクスとパリを行き来することに。
元々暗かった画風も、30歳の頃に後に結婚するオルタンス・フィケと交際を始めると明るくなりましたが、印象派展に出品するも落選の連続。
彼の作品が注目されるようになったのは、1895年に画商のヴォラールがパリで個展を開いて以降の晩年になってから。
現在のように高い評価を受けたのは1906年10月22日(23日説あり)、肺炎により67歳でこの世を去った後のことでした。
静物画や風景画が多い彼の作品には、いくつかの特徴があります。
まず建物や樹木が長方形に近い形で塗られており、年代が進むにつれ徐々に正方形に近くなっていくこと。
更に構図としては三角形や円錐・円柱になるよう幾何学的な配置を多用していること。
(これが後にキュビズム誕生の下地になったといわれています。)
そして部分的に敢えて絵の具を塗らずキャンパス地をそのまま残しており、これも年代と共にその面積が増えているのです。
それらの特徴が重なっている代表作として1899年に制作された『リンゴとオレンジ』があります。
どうでしょう・・・私には余白以外については今一つ理解できませんが、皆さんはいかがですか?
この余白に関しては、歳を重ねるごとにだんだん面積が増えているそうで、中にはこれを 「手抜きだ」 と批判する向きもあるようですが、果たしてそうなのでしょうか?
例えば雪舟の水墨画などは、その半分以上が紙のままですが、それを手抜きとは言いませんょネ。
かつて文楽の人形遣いで人間国宝に認定された初代・吉田玉男氏は、芸を極めていく程に余分な動きを抑えシンプルな人形遣いに昇華していった、と述懐しておられました。
おそらくセザンヌの余白部分が増えて行ったのも、同じ感覚ではないか? と私は推測するのですが・・・如何でしょう。
今後セザンヌの絵画を鑑賞される際には、幾何学的な配置と余白に注目してみてください。