「スポーツと政治は別」・・・と、よく言われます。
しかし現実には、日本戦の後に政治的プロパガンダを大書きしたプラカードを持ってピッチを走り回ったり、マウンドに自国の国旗を立てるなどの挑発行為をする隣国が存在します。
しかし、今からちょうど60年前の今日起きた、
メルボルンの流血戦
“Blood In The Water ” match
に比べれば、カワイイものかもしれません。
これはメルボルン五輪・水球競技のハンガリー対ソ連戦でのこと。
大会直前の1956年10月、脱ソ連・自由化を目指し蜂起したハンガリーの市民が多くの政府関係施設などを占拠。
これにソ連が介入し軍を動員、市民の反乱を鎮圧したものの、その際数千人のハンガリー人が殺害され、25万人近くが難民となって国外に逃亡するという、〝ハンガリー動乱〟がありました。
西側諸国はソ連を激しく非難し、この日の〝因縁の対決〟では当然の如く観客がハンガリーチームを応援。
試合はその後押しもあってハンガリーが4-0でソ連に勝利。
しかし試合は開始直後から選手同士がパンチやキックを繰り出す大荒れの展開。
そして2得点を挙げたハンガリーのエルヴィン・ザドル選手が試合終盤にソ連のバレンティン・ブロコポフ選手のパンチを顔面に浴びて右目下をカットし流血。
負傷したザドル選手はプールから上がらざるを得ず、審判は怒った観客の暴動を恐れ、試合時間が1分ほど残っていたのも関わらず試合をストップ。
警官隊が会場に入って群衆とソ連選手を引き離し、辛うじて最悪の事態は免れました。
この勝利もあって、ハンガリーの水球チームは同大会で見事金メダルを獲得。
しかし大会に参加した同国選手団100人のうち45人が西側諸国に亡命したとか。
流血したザドル選手もアメリカに渡り、水泳のコーチに。
そして彼の教え子の中には、後に1972年のミュンヘン五輪で競泳7種目で金メダルを獲得し、その全ての種目で世界新記録を叩き出した天才スイマー、マーク・スピッツ選手が。
ソ連の政治介入は、結果的に敵国からスーパー・スターを輩出するという皮肉な結果をもたらしたのです。
そしてハンガリーも、ペレストロイカの流れに乗って1989年10月に多党制に基づくハンガリー第三共和国が成立。
翌月に、あのベルリンの壁が崩壊したのでした。
メルボルン五輪で亡命した選手たちは、きっと感慨深くその映像を見たことでしょうネ。