アメリカのゴルフトーナメントや自動車レース会場の真上を悠然と飛んでいる、というか浮かんでいるこんな飛行船・・・皆さんもテレビ中継などで目撃されたことがあるはず。
そう、ブリジストン・ミシュランと並び世界3大タイヤ・メーカーであるグッドイヤー社の飛行船ですネ。
今日は、その社名の由来である
チャールズ・グッドイヤー
Charles Goodyear
の命日にあたります。
グッドイヤー・・・和訳すれば〝良年〟といういい名前なのですが、実はこの方の人生は波乱万丈というか苦難の連続でした。
1800年にコネチカット州ニューヘイブンで農家の6人兄弟の長男として生まれた彼は、父親の経営する農場や製粉所の手伝いに明け暮れる少年時代を過ごしました。
16歳の時からフィニデルフィアで機械工学を学んだ彼は、21歳で実家に戻ると父親のボタン製造業を手伝いますが、やがて農機具の製造に取り組むように。
24歳の時、後に彼の発明を支え続けた妻クラリッサ・ピッチャーと結婚すると、再びフィラデルフィアに転居。
しかし当初は順調だった農機具製造も次第に傾き始め、やがて倒産。
健康も害したばかりか、何度も投獄されるという悲惨な20代を送ります。
その彼に転機が訪れたのは31歳の頃。
当時新素材として注目されていたゴムに興味を抱き、かつ当時のゴムチュープの劣悪な品質に呆れ、自ら改良品を試作しメーカーに売り込みました。
担当者はそれを採用し1年間試験販売・・・したのですが、これまた不良品としてユーザーから不評を買って、返品の山。
彼は債権者から訴えられ、またしても投獄されてしまいます。
しかし不屈の闘志を持つ彼は、決してあきらめませんでした。
化学薬品の悪臭が室内に充満したり、時には有毒ガスが発生して死にかけたり、家財道具まで売り払う極貧生活の中で壮絶な実験を繰り返しました。
そして12人の子供のうち6人を失いながらも、遂にゴムの品質を安定させる製法を編み出し、そして1844年にゴムの加硫法(※硫黄を加える製法)の特許を取得します。
この製法により ゴムの弾性が増して温度変化にも耐えて油に溶けなくなり、更に対磨耗性をも数段改良されたのです。
この発見が、1880年にイギリスの獣医ダンロップ(J.b.Dunlop )の空気入りタイヤの発明に繋がったことで、グッドイヤーは〝ゴム産業界の父〟と呼ばれるように。
しかし、それで彼の生活が楽になったわけではありませんでした。
1855年にはナポレオン3世からレジオンドヌール勲章を授与されたものの、特許侵害の訴訟に振り回され続けた彼が今から157年前の今日・1860年7月1日、59歳で亡くなった時は20万ドルの借金が残っていたとか。
しかし彼自身は研究開発に明け暮れ、特許を守り抜いたことで彼の遺族は特許料収入で裕福な生活ができたとのこと。
また彼の発明の才能は息子チャールズ・グッドイヤーJrに受け継がれ、後に靴のグッドイヤー・ウェルト製法開発に成功しています。
〝貧乏発明家〟として生涯を送った彼でしたが、天国から家族が幸せに暮らしている姿を見て、さぞホッとしたことでしょう。
ちなみに、冒頭グッドイヤー社の由来となった・・・と記しましたが、実は同社とグッドイヤー本人及び家族の間には何の資本関係もありません。
ただゴム製法開発者として、同社が敬意を表して彼の名を冠しただけなんですって。
でも空に浮かぶ飛行船にデカデカと自分の名が書かれていれば、天国から眺めている彼の溜飲も、多少なりとも下がることでしょうネ。