昨年、リンドバーグが史上初の大西洋単独横断飛行に成功した記事を掲載しました。(↓)
そして今日は、その3年後に2人目の・・・と言うより、女性初の大西洋単独横断飛行に成功した
アメリア・メアリー・イアハート
Amelia Mary Earhart
をご紹介します。
イアハートは1897年、カンサス州アッチソンの裕福なドイツ系の家庭に生まれました。
医学を学ぶためコロンビア大学に入学した才媛でしたが、1年で中退。
第一次世界大戦中はカナダの米陸軍病院で看護助手として働いていたという彼女が飛行機に関わるのは、24歳の時。
たまたま友人と訪れたカナダ・トロントの博覧会で第一次世界大戦時に活躍した飛行機の展示飛行を見て、すっかり魅了されてしまったのです。
そして彼女は操縦を習う傍ら、カメラマンやトラック運転手、電話会社で速記などをして貯金し、なんと飛行機を購入。
しかし家庭の事情で1924年には飛行機を売却し、ソーシャル・ワーカーとして働き始めましたが・・・その4年後、彼女に1本電話がかかってきました。
電話の主は、ヒルトン・ライリー大尉。
彼が最後に問いかけた 「大西洋を飛びたいと思いますか?」 という言葉に、彼女の心はときめきました。
この誘いに乗った彼女は、後に結婚することとなる出版業者ジョージ・パットナムと出会い、彼のコーディネートでパイロットのウィルマー・スタールズと副操縦士ルイス・ゴードンのチームに共同パイロットとして参加。
同年6月にフォッカーF.Ⅶ機に同乗し、大西洋横断に成功。
しかしこの時はただ同乗していたに等しく、彼女自身も
「私はただの荷物、ジャガイモの袋みたいなものョ。」
という、自虐的なコメントを残しています。
負けず嫌いの彼女が、こんなことで満足するはずもなく・・・その4年後、即ち今から86年前の今日・1932年5月20日、リンドバーグと同じ日に同じコースを飛行すべく、ニューファンドランド島のグレース湾からロッキード・ベガに単独で乗り込み離陸。
残念ながら強風と飛行機の不調のため、目的地とは違うアイルランド・ロンドンデリー近郊の農場に着陸。
しかし見事に女性初の大西洋単独横断に成功したのです。
これによりリンドバーグになぞられて〝ミス・リンディ〟と呼ばれた彼女は、いわゆる〝一発屋〟ではありませんでした。
この快挙の前後に打ち立てた記録は、
◆女性による達成高度の世界記録:14,000フィート(1922年)
◆オートジャイロで飛行した最初の女性(1931年)
◆世界で最初にオートジャイロで米国横断(1932年)
◆女性初の空軍殊勲十字章授与者(1932年)
◆女性初の東海岸から西海岸への飛行(1933年)
等々・・・。 これらの活躍で、彼女は一躍国民的ヒロインに。
しかし、そんな彼女に悲劇が訪れます。
1937年5月21日、赤道上世界一周飛行のためにロッキード・エレクトラでオークランドを離陸した彼女は、6月30日にニューギニアのラエに到着。
イアハートとロッキード・エレクトラ
2014年に、ニクマロロ島沖の海底から引き揚げられた機体の一部がロッキード・エレクトラの部品であることが判明しましたが、その一方でミリというマーシャル諸島の環礁に不時着したという目撃談が現地で長年語り継がれてもいます。
彼女のためにも、早く事実が判明すれば良いのですが・・・。