皆さんは、普段ジョギングやランニングをなさっていますか?
統計によれば、現在日本のランニング人口は約1,000万人。
単純計算で10人に1人が走っていることになります。
ただそのレベルは千差万別で、公式のマラソン大会で完走しているランナーは約30万人前後だそうですから、トップクラスは全体の約3%ということになりますか。
そのマラソンブームが起きたのは、おそらく1964(昭和39)年の東京五輪で円谷選手が銅メダルを獲得してから・・・しかし当時はまだ男性が主体。
女性がマラソンに進出したのは、その2年後・1966年に開催された第70回ボストン・マラソンがキッカケ。
※その経緯に関する過去記事は、こちら。(↓)
これに刺激を受けたのでしょうか、日本国内のマラソン大会に初めて女性が参加したのは、1971年に開催された第5回青梅マラソン。
2名がエントリーしたのですが、まだこの時は10km。
同大会の30kmに女性が初めてエントリーしたのは、その3年後の1974年でした。
そして日本の女性に勇気を与えるランナーが彗星の如く登場したのは、国内ではなく海外・・・その僅か2ヶ月後に開催された第78回ボストン・マラソン。
女性42名が参加した同大会で2時間47分11秒というコース新記録で優勝したのが、日本生まれの日本人・ゴーマン美智子さん。
おそらく私と同年代以上の方なら、彼女の名に聞き覚えがあるはず。
彼女はその後1976年2月の青梅マラソン30kmに特別参加し、貫禄の優勝。
同年10月のニューヨーク・マラソンでも2時間39分11秒で、更に1977年4月のボストン・マラソンで2度目の優勝を果たしました。
まさに日本女性ここにあり・・・もし当時女子マラソンがオリンピック種目に採用されていれば、金メダル確実という大活躍。
これが大きな刺激になったのでしょう、その翌年・・・即ち今からちょうど40年前の今日・1978(昭和53)年4月16日に、日本で初めて女性だけが参加した
第1回女子タートルフルマラソン大会
が東京・多摩湖畔で開催されたのです。
多磨湖畔の周遊道路13.6kmを3周する形で行われ、49名がエントリー。
最高齢が71歳だったといいますから驚きます。
同大会を主催したのは、中高齢者の健康保持増進を目的として1973年に設立された社団法人・日本タートル協会。
長生きの象徴であり、スピードを競わずゆっくり走るイメージから亀(タートル)を名称に冠したとか。
しかし同大会で優勝した外園イチ子さんのタイムは3時間10分48秒・・・タートルどころかウサギ並み(?)のスピードでした。
翌1979年には、世界で初めて国際陸上連盟が公認する女性限定の大会として第1回東京国際女子マラソンが開催され、以降女性のマラソンは男性と同等の種目として定着しました。
・・・というより、日本では今や男性より女性の方が国際的にレベルが上ですけどネ。
日本初の女子マラソン大会が開催された東大和市では、2013(平成25年)に記念碑が建てられ、除幕式には優勝した外園さんも出席したとか。
残念ながらゴーマン美智子さんは2015年に他界されましたが、女子マラソン大会に参加したり観戦する際は、彼女たち先駆者の名を思い出し、敬意を払いたいものですネ。