私自身も歳を取るにつれ、
確実に体が衰えて来ました。
これは自然の摂理です。
「医療はどこまで老衰に介入すべきか」
を身を以て感じるようになって来ました。
今まで自分が医者として
やって来たことを振り返って、
人生の最終章における治療行為の意味を
改めて考え直す必要を感じました。
どこまでも延命措置をすることは
最期を乱すことになるのではないか。
むしろ「しないこと」の方が
本人を保護することになるのではないか。
こうした考えは介護施設の現場での経験を
積めば積むほど、強くなっていきます。
それにもかかわらず日本では、
虚しい、胸がふさがるような
延命措置が「強要」されているのです。
医者や家族が延命医療を
「しないこと」と選択しても
不作為の殺人的行為として
責められないようにならなければ、
状況は改善されないのではないかと、
私は考えるようになりました。
「平穏死」という選択
石飛 幸三 著
今回のネタ本は最初から
最後まで暗い話で恐縮です。
本当に難しい問題
年老いた両親であり、また祖父母であり、
はたまた、恩師であったりと
自分に近い老人が終末を迎え、
この世をさろうとしている時に
そばにいる近しい人たちがどのように考えるか
そして終わろうとしている人の
尊厳をいかに尊重するか
このテーマは哲学的でもあり、
決断を下す人には過酷
結局のところ警察沙汰にならないように
うまくやるしかないのかもしれないけど
煩わしい手続きに忙殺され、
静かに別れを惜しむ、いとまさえ見出せない
老いた親が、そして自分が
どのように最期を迎えるか
今からイメージしておかねばと思う
医師として医療の最先端で人の最期を
数限りなく見つめて来られた
著者先生でさえ苦悩されているのだから
私ごときが何か物申すのもおこがましく
感じるままに思いを綴って来たが
この国の制度も少しずつ
後追いではあるが改善されていくことを祈りつつ・・・
早起き鳥
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