私は、はじめから生きることを
放棄してただ何もしない、
自然に任せてそれが平穏死だなどと
脳天気なことを言っているのではありません。
方法があるのにしなければ無責任だとか、
保護責任者遺棄致死罪だといって、
何かをすれば
それがあたかも善であるかのような
独善的思考が危険だと言っているのです。
それが今、日本でこれだけ多くの認知症高齢者に
胃ろうをつけている背景なのです。
この高齢化社会、はっきり言えば、
ただその生物的病態だけを診て
それを変えようとすることよりも
老衰を受容して生活の質を支援することの方が
本人のためになると言えましょう。
「平穏死」という選択
石飛 幸三 著
保護責任者遺棄致死罪、
なんとも暗いイメージの虚しい罪
でもその定義はなかなか厄介
何もしないことが罪に当たるのか・・・
その罪がある以上、その罪を盾に、
しなくてもいい処置をする
そしてそのしなくてもいい措置で、
また別の問題が発生する
その悪循環の中で苦しみ続ける患者
何もせず、じっと手を握り、そばにいてあげること
それを保護責任者遺棄と犯罪者とされてしまう
のでは誰のための何のための法律なのかわからなくなる
でもその裏で、仕事を持っていて
看護や介護をすることができない場合には
病院に頼るしかない
その病院で何もしないなら、帰ってください
無責任とののしられるのもこれまたつらい
最期の時までどう生きるのか、
当人も家族も病院も施設もなかなか答えの出せない
難しい問題である
早起き鳥
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