ブリュッヘン

85年、ブリュッヘンの推進力が古楽の穏当な微温という印象を覆すモーツァルトの交響曲集。第31番「パリ」K.297と、第35番「ハフナー」K.385を収録しています。古典派交響曲。交響曲の父、ハイドンの諸作は試行錯誤の歴史であり、その器に盛り込んだアイデアが魅力です。その最後の交響曲第104番が書かれた第2回渡英の1795年は作曲者63歳。しかし、その才能を高く評価していたモーツァルトは4年前の1791年に亡くなっており、その短かった生涯の晩年にあたる1788年。わずか2ヶ月あまりで、その最後の3つの交響曲が書かれました。驚くべきはそれらの曲の性格対比で、おそらく連作を企図して書かれ、まとまりを示していることです。これらの強力な個性を放つ楽曲は老ハイドンの交響曲にも大いに刺激になったことでしょう。それは同分野の総決算ともいえるもので、これ以降のハイドンには最後の交響曲から14年も生が残されていましたが、ロンドンで接したヘンデルのオラトリオに触発されての宗教楽の大作「天地創造」「四季」を代表とする諸編と、室内楽に傾倒していきます。
交響曲という分野に一定の型が出来て行く成長の過程です。一般に「交響曲の父」はハイドンですが、ハイドンが分野の創始者ではありません。その多大な曲の多くの傑作をものにしたことが評価されるわけです。初期には形も不鮮明で、そもそもが何曲書かれたかの実数も定かでありません。続く世代のベートーヴェンは全作品が個性的で、数もずっと少なく9曲となります。モーツァルトの個性、初期の佳作から、真に個性を発揮はじめ、傑作と呼び得るものに達するのはどこからかは、議論があるところです。しかし、ウィーン時代、最後の3つの交響曲を含む6曲、通称「ハフナー」35番K.385にはじまる作品はどれも、そのディスクで欠くことのできない存在です。「ハフナー」は本来寄せ集め。通称37番とされる交響曲がミヒャエル・ハイドンの作に一部、補筆したものであるように、後期の交響曲ともいえども楽譜の所在や、まとまりがあやふやな時代。ハフナー家の子息の爵位授与式のために書かれた娯楽音楽6楽章のセレナードが改作されたのでした。多忙をきわめたため、ザルツブルク時代の作を急遽、再編したという事情でしたが、作品が傑作であることは、作曲者本人も驚きました。作品の出自である祝典的な性格。その意欲を表現意思としてブリュッヘンは表出します。古楽ではあっても、その意思は固く主情に溢れた演奏。そのモーツァルトの「ジュピター」がやはり、そうした傾向が強かったのと同様、それ以上に、そうした意思が反映し、「ハフナー」はそうした特別な扱いを受ける曲でもあります。管弦楽の充実。モーツァルトにとって、最大の作曲家としての成功はオペラにありましたが、この頃から、器楽の編成の拡大、充実がみられ、またそうした書法はオペラにもフィードバックされていきます。ブリュッヘンの表現意思は、かなり個性的なため、これを嫌う人も多くありそうですが、ontomoのムックでみると、評が割れて評価が定まりにくいという状況の中、三連続で選ばれていました。次点がアバド、クーベリックという穏当なもので、評論家の選は、ある程度、万人向けになり得るものですが、この個性的な演奏が入っているのが面白い。

クリックよろしくお願いします 星       
        ↓
    
以下は当盤ではありません

Mozart - Gran Partita - Frans Brüggen セレナードから

Mozart: Symphony No.39 - Brüggen/RKF(2010Live)

Mozart - Symphony n°35 - Cleveland / Szell