ウェーバー

85年録音。ウェーバーのクラリネット協奏曲。カラヤンとベルリンフィルの確執を生んだ入団騒動が83年でした。「マイヤーの音には、BPOの管楽器奏者にとって不可欠の、厚みと融合性が欠如している」。カラヤンが高く評価し、公演に帯同していましたが、楽団の投票で仮採用が否決されたのでした。当盤は、そうした話題性の中、むしろ華ある奏者として揺るぎのない評価を与えることになった一枚です。管楽器奏者としての順当な歩み、、オーケストラのオーディションを受け地位を確保する。たとえば42年生まれのアメリカ、リチャード・ストルツマンがソリストへの道へと踏み出すことには大きな迷いがありました。オーケストラのオーディションを落ち、ソリストとしての道を歩む。そこには決して、潤沢な曲があるわけではありません。将来の不安があるのは当然です。ウラッハも、プリッツも、ライスター、シュミードルも地歩の確保からスタートしていたのでした。それでも、その数少ないクラリネットの名品のうちには歴史に名を残す奏者の名前もあります。モーツァルトにはシュタットラー、ブラームスにはミュールフェルト、シュポーアにはヘルムシュテット。そして、ウェーバー作品にはべールマンの名前がありました。その音色、技術がもたらす革新が創作の触媒になったのでした。ウェーバーの協奏曲のモデルは直截にはシュポーア作品であり、ロマン派、1811年の小協奏曲が発端です。これをバイエルン国王マキシミリアンが気に入り、ウェーバーに2曲の協奏曲を書くように命じた。楽器は発展の途上にあり、モーツァルトの死の2ヶ月前、1791年。クラリネット協奏曲として知られている作品は実際にはバセットホルンであり、現在の楽器よりも低い音が出るものでした。晩年のモーツァルトは、独自の境地にあり、すでに俗塵からは遠い。名技性からは遠く、シンプルなたたずまいに、楽器の歌謡性。名技とともに記憶されるのはウェーバーの作品です。
 広い音域を生かし、楽器が発展していきました。キーシステム、おもにドイツ、フランスなどの様式があり、開発者の名が付されます。ロマン派は名技の開拓の時代でもあり、とくにクラリネットは広い音域と、楽器の機動性がありました。歌う性格もそのままに、それは広い音域に渡るものになっています。その音色を特色づけるもの。低い音と高い音では音色も異なり、そのなだらかな流れと、音域にあわせ音をつくっていくこと。管楽器奏者にとって、その均質なものの担保は生命線です。古くウラッハの音色も、甘美の印象以上に、この均一を保ち、演奏に安定をもたらしていました。ウェーバー作品のベールマンも、そうした技術の折衷、新しいところを取り入れ、早くに七鍵の楽器を入れていました。ウェーバーは、王の依頼に速筆で応えました。依頼の端緒になった小協奏曲にしても2週間。浄書、パート譜の作成と時間はとられます。演奏会まで二日しかなく、ベールマンはほとんど初見で吹かなければならなかったとか。2作も、ウェーバーのミュンヘン滞在中という前提があり、そのための速筆です。そして、ロマン派管楽器協奏曲の嚆矢。1番は充実作として知られ、レコードでは、この1曲にとどまることも多い。マイヤーは因縁のカラヤン、ベルリンフィルではなくブロムシュテット、ドレスデンシュターツカペレとの組合せで、ドイツのほの暗いロマン。これらベールマン縁の3曲を収録しています。カラヤンとの逸話は、その知名度を上げ、かえって世にでる機会を増したかもしれませんが、ここにはソリストとしての華があります。伴奏の管弦楽に用いられるウェーバーの管弦楽法の巧み。クラリネットの後ろでのホルンや、木管も楽器の性能が生かされていて、その音色と抜き差しならないところに配置されています。

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C.Mv.Weber - Concerto in f minor No.1 , op.73 (Sabine Meyer)