ロッシーニ

95年録音。 ミョンフンのロッシーニ、スターバト・マーテルの録音です。グラモフォンですが、このために、デッカからロッシーニ歌手バルトリを招集。95年ということは、ミッテラン時代の89年からパリ、オペラ・バスティーユ歌劇場の杮落しから就任したミョンフンが94年に突然、解任されフリーランスとしてあった時期。オーケストラもオペラ巧者のウィーンフィルで、どのような指揮者であっても美質を発揮するオーケストラから、ミョンフンの個性が発揮される。バスティーユ時代から、現代のオペラ上演を受けて、ミョンフンの指揮は細部を穿った精緻な表現で進めていきます。とくに色彩的な感覚と、リズム。宗教楽としては、劇場を想定したきわめて劇的な作品を、歌劇での体験を生かした上で肉厚な響きと、それだけでない静謐な部分とのコントラストも強い。バスティーユの杮落しも、大き過ぎて上演がきわめて困難な「トロイ人」からはじまりました。オーケストラ・ビルダーとして改革に乗り出し、多くの不備があったオーケストラに改革のメスをいれていきます。解任は、政争のもとに行われ、音楽の質を担保し、大きく別のオーケストラといえるまでに成長させたミョンフンの功績に対してあまりにも不当なものでした。その直後のロッシーニ。フリーランスの時代は、クライバーや、マゼールをはじめ誰かの代役ということが多かったミョンフン。いかなる曲目でも即応し、対応できることは、その才能が紛れもないものであることを示しています。かつての、フリッチャイ指揮の54年盤、そこにはシュターダーやヘフリガーといった歌手。ミョンフン盤(ディスクは当時の表記を受けてミュンフンとなっています)では、オルゴナソーヴァ、ヒメネス、スカンディウッツィ。バルトリのイタリアのほか、スロヴァキアに、アルゼンチンといった国際色。70年代のアバドにはじまるロッシーニ・リバイバルの流れは演奏にも革新をもたらしました。そこで登場するロッシーニ歌手たち。ベルカントの時代。ベルカントを復興させることに寄与したカラスにも「理髪師」や「イタリアのトルコ人」といった録音はありますが、復興はそれ以降の歌手たちによってなされていきました。アジリタの技術。バルトリといった歌手は、そうした新しい世代のもので、ときにロッシーニを越え、ヴェルディ的な逞しさまで迫るオーケストラにあって、新しいオペラの発見を覗いているような心地さえします。
 1841年、49歳のロッシーニ。すでに最後となったウィリアム・テルは29年。12年前に書かれていて、隠棲の状態にありました。49歳は普通は熟成の働き盛りですが、ロッシーニはベルカントの時代の推移を見守り、次第に劇的な流れが音楽性を担保しないことを苦々しく思っていました。そうした隠棲期でも、劇場への感覚。いかなるときでも、対応した上で、音楽をつくりあげる能力は保持されていました。オペラ引退後も、まったく作曲がなかったわけではありません。中でもスターバト・マーテルは一番の大作。さらに晩年の小ミサ・ソレムニス。近年、焦点があたっていますが、スターバト・マーテルはフリッチャイ以外のところでもケルテス、ムーティ、ビシュコフ、ジュリーニらが採り上げており、ロッシーニの珍しい作品を積極的に採り上げるシャイーも録音しています。近年の録音にもたらされているのは新しい感覚。ミョンフンがロスフィルの副指揮者を務めていた時代の82年、ジュリーニの同曲の録音がありました。その横の流れを生かしたジュリーニのイタリアものの触感。ミョンフンを育て、その下地となった多くのもの。より有利で条件の整った上での制作にも多いに花開いています。

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以下,音源は異なりますがミョンフンの同曲

Rossini: Stabat mater dolorosa | Myung-Whun Chung