ブルックナー

81年録音。テンシュテット指揮のベルリン・フィル。ブルックナー、交響曲第4番の録音です。大自然の反映、とくに第2楽章には、森の逍遥を思わす音楽があり、3楽章のホルンに狩りを想起させる。高峰が続くブルックナーの交響曲中でも「ロマンティック」という副題を持ち、かつて第4番は入門篇として知られていました。近年は後期の3曲に注視が行きがちです。ヴァント的な細緻は、ディテールの積上げで全体を形づくっていき、全体を理論の構築の完成のように導いていきます。目の据わった狂気。強迫神経症であり、自作に何度も手をいれずにはいられなかった。人の死に歓心を示し、遠く離れた地に遺体を見に行く、年離れた少女に求婚し、その母親に気味悪がられる。純真である一方、野人でもあり本来はブルックナーの交響曲の連なりは、多くの人を困惑させるものなのです。ここで描かれる森は、ウェーバーの「魔弾の射手」、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」の森にも共通し、そういった意味ではドイツのロマン派直系の音楽です。ワーグナーに強い影響を受けながら、その音楽は、純音楽的。主題の展開や、提示部から展開部への結合など、理論の破綻もある。何しろ、ヴォルフや、弟子たちをはじめ熱心な擁護派がある一方、ほとんど生前は無視され、光が当たることがなかった作曲家です。その長大さから、録音の50年代。巨匠時代であっても採り上げる指揮者にも偏りがありました。フルトヴェングラー的な揺らぎ、自然の反映のように、テンポを出来るだけ動かさずに進めるものとは対照的です。こうしたものは、芸風もありますが、その音楽をドイツ音楽のうちのどういう位置に置くのかという考えの反映でもあります。得意であったベートーヴェンの劇性、ドラマの更なる展開と解いたのも一つの考えであり、批難者もいる一方、強い印象を与えるものとなっています。もっと柔らかい人間的な響きで鳴らしたワルター。マーラーの交響曲からも、コントラストの激しさを除き、古典的な交響曲の延長のように置いたこのモーツァルト指揮者や、ベームの往年の演奏は、自然だけでない。ワルターの方が遥かに都会人でしたが、ブルックナー理解への門戸を拓いて行ったものです。
 テンシュテットのブルックナーは凄演の部類に入るのですが、ここでは強い牽引と、持って行く方向が濃厚で、ブルックナー以前の音楽よりも、ブルックナーから派生していった音楽に連なるものとなっています。東独出身。イギリスはロンドンで愛されたこの指揮者はベルリン・フィルでは必ずしもそうではありませんでした。歴史も、実力もある老舗に対しても仮借のない練習時間を課す。イギリスでは、その指揮ぶりを「フルトヴェングラーを想起させる」とまでされたのです。フルトヴェングラーはマーラーの交響曲には理解を示さず、テンシュテットは、その個性的なマーラー演奏で有名でした。かつて、チャイコフスキーの後期交響曲にまでマーラー的なものを感じさせたバーンスタインがありました。そのバーンスタインの恣意的な表現のマーラー演奏は、作曲者の声のように響くものです。テンシュテットのマーラー演奏同様に、このブルックナー演奏のうちから、同様の方法論。決して美音を追求せず、内実を求める。版も原典には固執せず、汎用的なもので、ブルックナーのうちにあるマーラーに連なるものを感じさせてくれます。長いということ以外には共通点のない水と油のような違い。ブルックナーの中から、テンシュテットのような響きが紡がれることは稀です。

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Bruckner - Symphony No 8 in C minor - Tennstedt
Berlin Philharmonic Orchestra
Klaus Tennstedt, conductor
Live recording, November 1981

BRUCKNER Symphony No 4 Romantic , Walter / 1 MOV