春休み前、子ども向けの映画が封切られます。今日はその中で、小学3年生の娘と見に行った映画について綴ろうと思います。娯楽の支出費用で言えば、映画鑑賞は比較的安価な行為だと思います。私の場合、自分が見たい映画というよりも、小学3年生を主体として考えた映画を、最近は見ることが多くなりました。それでも、そうした映画の中で、大人でも印象に残る映画もあります。場合によっては、ワンパターンのストーリーに、ついうとうとしてしまう映画もあります。子どもと共通した話題を提供してくれるというのも、親子で行く映画鑑賞の重要な要素だと思います。
【映画ドラえもん のび太の宝島】
ドラえもん人気は、驚くほど長い! ドラえもんは、多くの子どもに、様々な影響を与えた存在だと思います。私がドラえもんを初めて知ったのも、教室の生徒が得意になって私に教えてくれたからでした。その子は、開成中学に合格し、今では中年の域に達してしまいました。
その子が熱っぽく語ったドラえもんは、今でも子どもたちのヒーローなのでしょう。のび太とその友達との友情が、ドラえもんの奇抜なアイテムとともに、ストーリーの中心となります。
今回の映画も、夢と冒険がいっぱい詰まった宝箱のようで、子ども向けの映画としては、とても良くできていると感じました。ドラえもんの映画は、教育的配慮がなされているという印象を受けます。そう言った意味で、安心して観られる映画と言えるでしょう。
【リメンバー・ミー】
音楽を優先して家族を捨てた父に対して、その家族は長い間、音楽をタブー視して過ごしてきました。けれども、この物語の終盤で、実は音楽が家族を繋いでいたことを、その家族は知ることとなります。家族愛と絆がテーマの映画でした。主人公の少年が、死者の世界に旅立つストーリーは、鎌倉物語を連想させます。
自分のやりたいことと家族の絆の狭間で悩む少年の心情が描かれています。また、先祖を忘れず敬う風習も、日本と同様にこの物語の舞台となっているメキシコにもあるのだなと思いました。
死者の世界にいる人たちは、自分と親しかった人たちの心から自分が忘れ去られるとき、死者の世界からも消えてしまうということを、この少年は知ります。一般的に、人間には二つの死があると言われています、一つは、体の死。二つ目は、人々の心から忘れ去られるという存在の死。「リメンバー・ミー」とは、「私を忘れないで!」あるいは「私を思い出して!」といった意味ですが、人々の心から忘れ去られるという二つ目の死を恐れた言葉なのかもしれません。
【ちはやふるー結びー】
映画が封切られる前に、テレビで放映されたせいでしょうか、珍しくアニメでないこの映画を見たいと、小学3年生の娘が言いました。青春を競技かるたにかける面々の情熱、競技かるたの迫力、淡い恋心、そうしたものに興味を持ったようでした。元々は、少女漫画であった「ちはやふる」を映画化した三作目の作品です。
帰ってきてから、小倉百人一首の中で、映画に出て来た以下の和歌を含む数首を,音読しながら覚えていました。古語であることと恋の歌なので、小学生には難しいかもしれません。もっと分かり易く有名な和歌があるのですが、この二首が、映画のかるたの勝負に関わっていたことで、興味を示したのです。
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
(他人には気付かれないように耐え忍んできたけれど、顔色に出てしまっているのだ。私の恋は。「恋の物思いをしているのですか」と他人が問うほどまで。平兼盛)
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
(恋をしているという私の噂が早くも立ってしまったのだよ。他人に知られないように思いはじめていたのに。壬生忠見)
以上の二首は、天徳4年(960年)に村上天皇の御前で行われた歌合で、「恋」を題として優劣を競った歌です。しかも、この歌合の最後の勝負、いわばエース対決として戦った歌であり、判者の藤原実頼も優劣つけがたく、持(引き分け)にしようとしました。しかし、天皇が「しのぶれど」と口ずさまれたことから勝敗は決し、兼盛の勝ちとなったそうです。同じ歌合で、この二首が対決し、「しのぶれど」の方に軍配が上がったことについて、娘はとても興味を示しました。
毎年、下の画像の朱色の建物の近江神宮において、競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦、そして今回の映画の高校選手権などが行われます。それは、近江神宮の祭神が天智天皇であり、小倉百人一首の第一首目の歌を詠んだ天智天皇にちなんで、こうした行事が行われているということです。
タイトルの『ちはやふる』は小倉百人一首の撰歌「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」に由来しており、原作者の末次由紀は本作についてインタビューで「“勢いの強いさま”という“ちはやふる”の本当の意味を、主人公が知り表現していく物語なのだと思う」と発言しているそうです。ただ、一般的に「ちはやぶる」は、神の枕詞として用いられる言葉です。
私は、この映画を観ながら百人一首などの日本的な伝統を、誇らしく感じました。千年もの間、人々の心の中で受け継がれてきた歌が、日本にはあるということを。また、歌人にとっても、自分が詠んだ歌を、千百年後の現代の小学3年生が、必死で覚えようとしていることを知ったなら、さぞうれしく感じるだろうと思いながら、本を音読している声を聞いていました。