官僚主導の権威づけ機関に過ぎない「審議会」の実態 | 永田町異聞

官僚主導の権威づけ機関に過ぎない「審議会」の実態

新党日本の田中康夫が昨日、出馬予定の兵庫8区、尼崎に乗りこんだところ、さっそく「アマに何しにきたんや!」と罵声を浴びたそうだ。どうやら、罵声の主は冬柴鉄三の支持者らしい。


どこにでも、そういう了見の狭い人はいるものだから、気にすることはない。ところで、その田中康夫がよく使っている言葉に「政官業報学のペンタゴン」というのがある。


「政官業」のトライアングル(三角形)に、報道と学者を加えたペンタゴン(五角形)の癒着構造をさすようだ。政府の審議会がその典型である。


東京新聞論説委員の長谷川幸洋は、近著で「自分もお仲間の一人だった」と告白し、反省をこめてペンタゴンの実態を暴いている。


長谷川は2005年から08年まで財務相の諮問機関「財政制度等審議会」の臨時委員をつとめ、06年から現在に至るまで首相の諮問機関「政府税制調査会」の委員である。


委員だからこそわかる財政審の実態とは以下のようなものらしい。


財政審は財務省主計局が牛耳っている。6月と11月の年2回、予算編成の基本的考え方を答申するため、議論を交わすのが仕事だが、その議論は「ほとんど儀式に近い」という。


国民もうすうす分かっていた実態だが、当事者の述懐にはリアリティがある。


なぜ儀式に近いのか。質問と答弁があらかじめ決まっているからだ。


主計官が「ご説明」と称して委員のもとにやってきて、事前に質問や答弁内容を打ち合わせる。質問内容を各委員に振り分けておくと、完璧な答弁が用意できる。


会議の予行演習にもぬかりがない。主計官のシナリオにそって、会長役の副大臣を前に、主計官や主計局次長が答弁を練習する。


ばかばかしいリハーサルだが、スムーズに議事をこなしていけば、能力評価が上がるというわけで、官僚は必死なのだ。ガチンコの議論など、とんでもないことらしい。


長谷川は、官僚に都合よく利用されるだけの御用機関に疑問を感じ、しだいに官僚批判を強めるようになっていった。


「官僚にとって審議会は議論の場ではなく、有識者のご意見も拝聴しましたと、形式を整えて、実行しようとする政策を権威付け、正当化する手段と位置づけられている」


こう言う長谷川が、一国の宰相の本音にふれて驚いたことがある。福田康夫前首相のことだ。


2008年1月、ダボス会議から東京への帰途、福田首相に同行していた渡辺喜美行革相は公務員制度改革の有識者会議がまとめた最終報告を、首相に説明しようとした。


ところが、福田首相は「その報告は受け取らない」と言う。有識者会議のメンバーに顔向けできないと思った渡辺は辞任の覚悟を固めた。


中川秀直のとりなしで、有識者会議の岡村正座長から報告書を受け取ることになったが、福田首相は岡村座長にこう言ってのけたという。


「日本は政治家が弱いんですよね。こういう国では官僚が強くないといけないんです」


長谷川は「官僚の御輿に乗って総理をやってみたい」だけではなかったか、と書いている。


安倍晋三は霞ヶ関改革をちらつかせたとたん、はやばやと官僚のサボタージュで潰され、そのあとを福田、麻生とバトンタッチしていくうちに、全ての閣僚、与党有力政治家がきっちり官僚の手のひらで踊らされていた。


麻生首相はもちろん、財務省官僚の言うなりにコメントする与謝野馨も、官僚依存という点では、福田と大差はない。


福田康夫の麻布高校三年後輩にあたる平沼赳夫は、福田が総理就任にあたって「私は人の嫌がることはしない」と発言したことに驚いたという。


人の嫌がることでも、政治家としてなさねばならない時がある。政治家の関心が、お仲間の官僚、財界、学者、ジャーナリストとうまく付き合っていくことだけに向かうなら、「友あって国なし」となる。


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