昔は巻いていた | ささやかな暮らしDAISUKI!

昔は巻いていた

私は貧乏育ちで倹約家なので、何十年も使っている物をたくさん持っています。

1980年頃に買ってもらった服がいくつもあるし、鉛筆削りや文房具、裁縫道具など親の代から使い続けている物もあります。


どんどん捨てて買い替える人がいますが、私はそれができない。物は消耗品とそうでない物があって、そうでない物はそうそう壊れるものではない。そろばんなんか40年以上使っているし、TEACのオーディオタイマーは1982年からずっと動き続けています。ときどき褒めてやるんですよ。


若い人は信じられないかもしれませんが、昔の電話機は黒くてダイヤル式でした。ジーコジーコと回すので、甘いと間違い電話になる。短縮ダイヤルなんかないから毎回回すのです。だから、今間違い電話をする人の気が知れない。

今は電話機をコンセントにつないで受話器はコードレスになったけれど、昔は停電になっても電話はできたし、トイレまで受話器だけを持って行くことはできなかった。FAXが珍しいのだから、IP電話だの携帯電話だのインターネット電話など想像もできませんでした。


時計はねじを巻いて使っていました。だから毎日巻かなくてはならない。巻き忘れたら止まってしまう。巻いても度合いによって時計の針の進み具合が違うので、遅れたり進んだりするのは当たり前でした。やがて自動巻き、電池、太陽電池が取り入れられ便利になったものです。


ペットボトルなんかありませんでした。

外に飲み物を持っていくなら水筒。中身は湯かお茶で、魔法瓶でもやはり冷めてしまう。私はおばQの水筒を愛用していました。

酒屋やお菓子屋で飲み物を買うと缶か瓶。瓶は保証金を前もって取られ、瓶を返すと返金される。だから町で瓶を拾って店に持っていくと売れた。ゴミに出すなんてもったいないことでした。


コンビニエンスストアもありませんでした。

お菓子屋、乾物屋、よろず屋、雑貨屋、電気屋、文房具屋、本屋に夕方までに買い物にいくしかありませんでした。おでん屋、ラーメン屋、焼き芋屋、金魚屋、竿竹屋は屋台が町をうろうろしていました。オイルショックの時にちり紙交換が回って来たのは画期的でした。


トイレは汲み取り式でした。今でもまだ汲み取りの家がありますが、バキュームカーを呼ぶにはかなりのお金がかかります。

うちが水洗になったのは1980年。これでトイレのにおいが軽減し、汚物がたまる不便・物を落とす恐怖・自分が落ちる恐怖から解放されました。それまでは虫がわくし、回収のバキュームカーがなかなか来ないと大変なことになりました。


今の人は気軽にコピーしますが、昔はなかったし、出たての時には性能が悪いのに高価でした。リコピーにしてもゼロックスにしてもそう簡単にはできないので、書き写すのです。だから勉強の際にはいつの間にか覚えてしまいました。

学校のプリントはガリ版で、印刷が不鮮明なのに手間がかかるし手が汚れる。紙はわら半紙といてうお粗末な紙でした。今まだあるんですかね。