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透析生活

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2017.10.04
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カテゴリ:家族のこと
先日、私に2人目の甥っ子が誕生お誕生日いたしました〜(*^▽^*)ダブルハート

嬉しくて、嬉しくて、仕方がありません上向き矢印上向き矢印


母子共に元気なようですし、甥っ子のRちゃんも弟の誕生に大喜びらしいです音符

私も、可愛い赤ちゃんに会える日を心待ちにしていますハート(手書き)


でも実は、、、無事誕生の報告を聞くまで、私は不安で仕方がありませんでした。

私の心の中に 「赤ちゃんに何かあったらどうしよう」 という気持ちが常にあったから。


何故、そんなことを思うのか、、、。

その理由は、今年の2月まで遡ります。


今年の2月7日、献腎移植をしていただけるとの連絡をいただいた私は、

「目が覚めたら新しい人生が待っている!」 と信じてオペ室に向かいました。


でも、麻酔から目が覚めて聞かされたのは、

提供された腎臓に問題が見つかったため、移植せずにお腹を閉じたという報告でした。


お腹を切ってしまったことによる傷の痛みを除けば、

移植できなくても元通りの生活に戻るだけのことで、何ら変わりはないはずなのに、

“新しい人生” に対する期待が大きかっただけにショックも大きく、

更に、腎臓を提供してくださった方とご遺族への申し訳ない気持ちもあって、

私はやっぱり精神的に少し不安定になっていたんだと思います。


オペから1週間弱で退院して、お世話になっていた透析クリニックへ行き、

「私、何やってるんだろう、、、? 何でまだここに居るんだろう、、、?」 と、

考えても仕方がないことを考えながら、お腹の傷の痛みに耐えつつ透析を受けて、

漸く帰宅したタイミングで、妹の妊娠の知らせを聞いた私。


次の瞬間、反射的に涙が出てきて、私は両親に、

「私、こんなに苦しいのに、何で◇◇◇ (=妹) だけ幸せになるの?」 と言っていたんです。


口に出してから、そんなことを言った自分自身にビックリし、

大きな大きな後悔の波が襲ってきました。


「ずっとずっと、Rちゃんに妹か弟ができれば良いと思っていたはずなのに」

「何で私、こんなこと言っちゃったんだろう?何で泣いているんだろう?

「自分が辛い状態とはいえ、妹の幸せを素直に喜べないなんて、私は最低な人間だ」

「もし赤ちゃんに何かあって、妹が不幸になったら、私のせいかもしれない」


そんな色々な思いが、頭と心の中でグチャグチャになって、涙が止まりませんでした。


思い返せば、大学受験を前にネフローゼで入院した時も、

24歳で透析導入しないといけないと主治医に言われた時も、

今回移植できずに退院し、職場や透析クリニックに挨拶に行った時も、

周りのみんなが悲しそうな泣きそうな顔をして気遣ってくれるので、

私は心配かけたくなくて、泣かなかった (泣けなかった?) んですね。


誰かがいる前で、自分の感情を丸出しにして大泣きしたのは、

記憶にないくらい本当に久しぶりのことでした。


自分にも言い聞かせるつもりで 「私は大丈夫」 と言ってはいましたが、

移植できなかったという事実を心の中できちんと整理して納得するには、

1週間という時間はまだ短すぎたんでしょう、きっと。


日が経つにつれ徐々に気持ちは整理され、友人や同僚や両親との会話でも、

移植のことを昔話の1つとして笑って話すことができるようになりましたが、

「もし赤ちゃんに何かあったら、、、」 という不安は常に抱えていました。


だから、赤ちゃんが無事に誕生し、

妹家族が幸せに生活できていることが本当に嬉しいし、ホッとしています!!


あの時、何であんな言葉が出てきたのか、、、。

それは精神的に不安定だったからとしか言いようがありません。


人間は、体が弱っていると気持ちも弱くなりがちですし、

気持ちが弱くなると、マイナスの思考が働きやすくなりますし、

マイナスの思考が働くと、とんでもないことを言ったりやったりしてしまうんですよね。


我が職場病院に来院される患者さんの中にも、

少数ですが “困ったさん” がいらっしゃるんですけど、

「もしかしたら病気という不安の中で、気持ちのぶつけようがなくて、

本来の姿とは違った、とんでもない言動をされているのかもしれない」 と、

身を以て体験したことで思えるようにもなりました。



余談ですが、懸賞に当たれば 「ラッキー上向き矢印」 と思うのと同じように、

病気になったり怪我をしたりすれば 「アンラッキー下向き矢印」 だと思います。


そういう意味で、移植できなかったことは不幸でしたが、

本当に不幸なら、提供された腎臓の問題に気付かれないまま手術をしてしまい、

運が悪かったら今頃この世にいなかったかもしれませんから、

私のケースは不幸中の幸いだったんだと思いますし、気づいていただいたことに感謝しています。


そして “一喜一憂” の評価ではなく、長い人生というスパンで捉えた時、

透析人生は決して不幸ではないと今でも強く思っています。


だって、頑張って透析していれば、

可愛い甥っ子2人の成長を見続けることができるんですからね(^▽^)音符


人生の楽しみが、また1つ増えました。



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最終更新日  2017.10.04 17:00:46
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