最期の1%は世界を変える。 | ノラ家の日常・非日常

最期の1%は世界を変える。

こんばんは、ノラドラです。

 

いつも温かい応援、素晴らしいメッセージをありがとうございます。

 

昨日の記事「抱きしめて送る 」の続きです。

 

非科学的な非日常のお話ですので

 

苦手な方はスルーしてね。



 

 

私たちは人は死なないし、魂は永遠だと思っていて、

肉体を脱ぎ捨てたらもといたところに還ると思っているけれど

 

社会ではまだまだ「死んだら終わり」で

死は忌むべきものだと思う風潮は色濃い。

 

でも、死は忌むべきものではなく、「救済」であり、

人は亡くなるときに大きなエネルギーを発して、魂のエネルギーは

看取る人に受け継がれると聞いて



 

ドラは言った。

 

じゃあ…

 

死に関わる仕事をしても消耗しないし、

癒される、と?

 

そして本当は…

 

 

 
それじゃあ、
 
死のイメージは今とガラリと変わるね。
 
 
 
 
 
 
 
でもでも、
 
 
 
ドラが突っ込むと
 
 
ノラ姉がしばし考え込んだ。
 
 
でも、二人ともちょっと考えて
 
次の結論に達した。
 
 
 
 
「待て待て、
 
看取りが幸せなものだったとき、
 
死は本人にも周りにも荘厳な癒しになるということなんだな」
 
 
と。
 
 
 
 
 
「だからこそ、幸せな看取りが重要なんだ。」
 
「そやそや。」
 
 
 
確認し合いました。
 
 

あとで、昨日紹介した看取り士さんの著書を読むと

はたして

マザーテレサの次の言葉が引用されていました。

 


 

「人生の99%が不幸だった人でも

 

最期の1%が幸せならばその人の人生は

 

幸せなものに変わる」

 

と。



 

また、亡くなるその方だけが救われるのではなく、

 

周りの人が救われる話もたくさん紹介されています。



 

 

たとえ、それまでの人生で親子の関係が悪く、

 

親を抱きしめることが到底想像できなかったという人も、

 

命の終わりに、親子の関係が

 

短い時間に劇的に改善されることが本当に多いことから、

 

「父母との関係が生まれ落ちたときの関係に戻る」

 

「やはり看取りは誕生とおなじところにある」と

 

著者さんは改めて感じるそうなのだ。

 


 

最後の一週間、

 

 

たとえ一日でも

 

 

手を握り、肌で触れ合う温かな時間をもてれば、

 

 

看取りは心の通じなかった家族が

 

 

絆を取り戻す時間となるそうだ。

 

 

 

また、著書によると


 

2025年には日本は多死社会になって、

 

病院に収容できない47万人が死に場所を失うらしい。

 

だから、この方はそのときまでに無償の看取りボランティア「エンゼルチーム」を

 

全国に組織しようとされている。

 
 
 
自宅以外にも家族と地域と無償ボランティアが
 
連携する場所が必要になってくる。

 

 

ノラ家ではいつも思っている。

 

 

 
ご先祖さまがそうしていたように。
 
(ご先祖さま、ちょっと…究極的だったけど…)
 
 
 
 
 
(国家資格ではないという意味です)
 
 
そんな抵抗にもずっと立ち向かい続けている。
 
ここにも挑戦者がいる!
 
 
本当に素晴らしい方だなあ。
 
 
そうそう、この方、
 
 

女性は出産のとき、この世とあの世の受け渡しを経験しているけれど

男性はあの世とこの世の受け渡しを経験する体験がないので

男性こそ看取りにかかわってほしいと考えているんだって。

面白いですね。





 

 

 

 

この方の夢は

 

 

 

 

「すべての人が最期に愛されていると感じて旅立てる社会づくり」

 

 

 

だそうです。

 

 

マザーテレサのご遺志をついでおられることを

 

ご本人は完全に自覚しておられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
本当にそうなのだと思う。
 
 
 

 

 

私たち治療家(施術家)がしばしば痛感するように

 

 
 
でも、

 
 
一人の魂の救済は周りの救済になり、
 
最期の1%の愛は世界を救うんですね。
 
 
 
 
 
と思ったのでした。
 
 
そして、家族もノラ姉の仕事の意味を
 
ようやく理解できたのでした。
 
 
 
ー完ー
 
 

ご興味があれば私がごちゃごちゃいうより実際のご本をどうぞ。
 

 


 
いつも温かい応援やメッセージをありがとうございます。
 
更新の励みになっています。ありがとう!

 
   ノラ家の日常・非日常
 
 
この記事は、’できる状況であるならば’、
愛で満ちた状態で看取る努力をしようというお話でした。
 
看取ることができなかった方、愛する人が急に亡くなり
そばにいてあげられなかったというとても辛い経験をされている方もおられると
思います。心中お察しします。
 
不慮の場合と、この「心がけ」としての話は分けて考えていただければと思います。
 
さて、不慮で別れた場合は、本当に魂レベルで「不慮」であることは少なく、
ほとんどの場合、自分がそれを引き受けることを
了解して生まれてきていると伺っています。
最期の1%が不幸ならば人生すべてが不幸になるということは決してありませんから
どうか心安らかにいてください。
かならずすべての魂が愛され救われる計らいが
この宇宙にはすみずみまで行きわたっていると信じています。
そしてそれを信じてください。
 
それぞれのケースで、「それから」でも愛は通じるという別の話、
別の癒しの話になっていくと思います。
 
 
機会があればまた。
 
みなさまに愛と平安がありますように。