心を留めるピン | BAR trenta @イタリア雑貨店トレンタ

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イタリア雑貨店トレンタのイタリア~ンな日常をお届けします♪

 

大変ご無沙汰をしておりますあせる

暦の上では春を迎えたものの、雪が舞うなど寒い日が続いておりますが

みなさまお元気でお過ごしのことと思います。

 

ブログの更新は久しぶりなので、何から書こうかな(笑)

イタリアへ行ってきたばかりなので、イタリアネタを…と思いましたが

イタリアへ行く前と、帰ってきた後の私の変化というか

まずは近況報告などを書いてみようかと。

 

 

昨年に少しブログでも触れましたが

私の大切な家族であり人生のパートナーである相方が突然の病に襲われてから

早いもので、そろそろ1年が経とうとしています。

昨年の今ごろ、すでに相方の体には病気の前兆があったはずだし

少しずつ体調を崩していたのだと思うと、早く気が付けなかった後悔で胸が苦しくなりますが

相方の頑張りもあり、今は日常生活に近い状態で暮らす事が出来ています。

病気を代わってあげることも出来なければ、医者のように治すことも出来ない私は

ただそばで見守るだけしかできないので、元気になってくれた相方に感謝するばかりです。

 

12年前に最初の難病を患ってはいましたが

すぐに(もしくは近い将来に)生存率を考えなくてはならないような病気ではなかったので

薬に頼りつつも、日常生活を送ることが出来ていました。

私も、そして本人さえも病気であるのを時々忘れてしまうくらい。

 

しかし、昨年に相方を襲った難病は、そんなささやかな日常生活を許してはくれませんでした。

病院の先生方も驚くようなスピードで病は相方の事を飲み込んでしまい

入院して5日目、あっという間に集中治療室(ICU)に入ってしまうこととなりました。

 

小さく白いICUの面談室で、先生3人に囲まれながらの一人で聞く病状説明は

自分でも不思議なくらいに頭はスッキリとクリアで、十分に理解が出来ていたのですが

同意書のサインを記入した、多くの書類の上に並ぶ「致命的な経過」の文字と説明に

少しずつ心だけが絶望の淵へと追いやられてしまって、若干パニック状態に。

号泣しながら先生に

「希望をください。何でもいいから、希望が欲しいんです!」と詰め寄ってしまったのですが

その時、部長先生が「望みがあるから治療をしているんです。無ければ治療はしません」

その言葉に、ハッと我に返ったところで先生が再び口を開きました。

「彼から『僕は大丈夫だからと彼女に伝えて下さい』と伝言を頼まれました。彼、頑張っていますよ」

 

 

上から下まで様々なチューブやコードに繋がれながら

意識はあるものの、ぐったりと横たわる相方の顔色は紙のように白く

見ているだけで涙がどんどん溢れてきてしまって

なかなか彼にかける言葉が見つからなかったのですが

「僕は大丈夫だから、泣かないで」と相方から逆に慰められてしまう頼りない私。

ICUの面会は1日4回、1回15分までなので、一緒にいられる時間はわずかです。

文字通り、泣く泣く帰宅となりましたが、この日の深夜に相方の容体が急変してしまいました。

 

壊れた蛇口みたいに、何もしていなくても涙はぽたぽたとこぼれ続け

一人でいると急に淋しくなって、迷子の子供みたいに、相方の名前を呼んでは泣き叫び続けました。

彼を永遠に失ってしまうかもしれない

愛する人に迫る死の恐怖は、生まれてから今まで経験した事のない、本当の「恐怖」でした。

 

多くの先生方や看護師さんたちの懸命な治療のお陰で

もちろん相方の頑張りもあり、それから2か月半ほどで退院して今に至るわけですが

この時の恐怖に飲み込まれてしまった私は、なかなか前に進めずにいました。

 

ささやかな日常生活が戻り、本当に幸せで楽しい毎日が過ぎていくのですが

心だけが、あの恐怖を味わった日のカレンダーにピンで打ち付けられて動かないので

時々、思い出したように泣いてしまう事があります。

心だけが置いてけぼりなのです。

 

イタリアへ行くのを決めてからも、なかなか心が動かずに不安や傷みだけが続き

イタリアへ行ってからも、なかなか楽しめないでいたのが本音です。

「まだ来るの早かったかな…」

そんな風に思っては、ちょっとした後悔や淋しさで泣いてしまったり。

 

 

 

でも、フィレンツェに到着して、いつもの風景を見たときに

「あぁ、また来ることが出来たんだ!相方が元気になってくれたから来れたんだ!彼は元気なんだ!」

嬉しい気持ちがこみ上げてきて、ひとりで路地を歩きながら泣いてしまいました。

 

私がイタリアにいるという事。

それは相方が頑張って元気でいてくれている証拠。

みんなに支えられて、優しい気持ちに包まれているような気持ちになって

心がふっと軽くなるような感覚になりました。

 

それからは、忘れかけていたイタリア語も口から出るようになり

市場の元気なシニョーラと話をしながらヴィンテージの買い付けをしたり

すっかり仲良くなった取引先の担当者とも良い時間を過ごすことが出来ました。

 

 

ローマに到着したころには歩きすぎて痛めた足を引きずりながら

変に頑張りすぎたアホな自分にガッカリしたり、悔し泣きをしたりもありましたが

「絶対に戻ってくるもんね!今度は相方と一緒だぞ~!待ってろ、イタリア!!」

大好きな風景を眺めながら、必ずイタリアへ戻ることを誓いました。

 

あの日にピンで打ち付けられたままの心は

残念ながらいまだに動かないままではありますが

イタリアへ行く前よりも少し自由に、軽くなったような気がします。

なんだろう?イタリアの魔法かな?(笑)

 

 

「我慢しなくていいんだよ」

 

2009年の夏、はじめて一人でイタリアへ行ったとき

自分が一番欲しかった言葉をイタリアでかけてもらったことは今でも忘れられません。

我慢は美徳という日本ならではの言葉は、その時にアルノ川に捨ててきましたが

今度イタリアへ行くことがあれば

今、私の心を留めているピンをテヴェレ川にでも捨ててこようと思います。

 

さて、いつ捨てに行こうかな?(笑)