それはある日の夕方のことでした。

ガチョウのヒナ2羽と
彼らの面倒を見ている里親メンドリは
前庭で3羽揃って仲良く
おやつ(芝草)を食べておりました。


前庭は野菜畑などの他の庭とは
ゲートで区切られておりまして、
しかしこの日は
ゲートの閉じ方が甘かったのか、
ガチョウ父母と
その父母の元で育っているヒナ5羽が
そこから前庭に入ってきました。

首を振りながら辺りを睥睨しつつ
堂々と行進の先頭に立つ父ガチョウ。

庭の中央まで進んだその時、
父君はある一点を凝視し、
そして次の瞬間
我々が耳慣れたあの狂乱の叫び
のどかな空気を切り裂きました。

そう、里親メンドリのそばにいる
里子ガチョウのヒナ2羽を目にするなり
父ガチョウの本能スイッチが
また凄まじい勢いで
押されてしまったのでございます・・・!

父ガチョウとしては
『自分の子供らしき』ヒナが
『自分の妻ではない』成鳥の足元にいる、
それはすなわちこの怪しい成鳥が
『うちの子をたぶらかし、誘拐した』ことの
証左に他ならず、子を持つ父の激情
瞬時にほとばしるのは当然といえば当然。

それまでのお散歩気分をかなぐり捨て
父ガチョウは里親メンドリと
里子ヒナ2羽の元に突進。

子供がらみの緊急時にのみ使用される
獰猛かつ凶暴な雄たけびをあげつつ
翼を広げて宙に体を躍らせると
そのまま上方から
全身をひねっての右翼フック。

ガチョウのフックは
人間が普通に食らっても
相当に痛いものです。

それでもガチョウ対人間の場合
人間側には『身長』という
アドバンテージがあったのでした。

ガチョウが羊相手に
喧嘩をする場合もそうなのですが、
ガチョウ側の攻撃は常に下から、
そのため私はこれまでずっと
それがガチョウの『戦闘姿勢』の
基本かと思っていたのです。

しかしあれはどうやら
敵が自分より大きい場合に限られるものらしく、
ニワトリとガチョウではガチョウの方が
倍以上は体が大きいものでして、
そうなればそこに『上からの攻撃』という
選択肢が加わるのは当然といえば当然。

そして敵が『わが子に害をなす誘拐犯』である以上
ガチョウ倫理に基づいて手加減の必要などなし

父ガチョウの翼が
唸りをあげて弧を描いたのを見て
私は里親メンドリは重傷必至と観念しました。

ところで私は里親メンドリは里子たちに
外敵に襲われた際の危機対策として
『何かあったら、とにかく里親メンドリの
後に続いて全速力で走る』ことのみを
教えているものとばかり思っていました。

怪しい生き物(たとえば私)が近寄っていくと
ガチョウの場合は
父ガチョウがその場に仁王立ちになり
全力で威嚇の声をあげ、
その間に母ガチョウが
子供を率いて
よたよた安全な場所に退避するのに対し、
ニワトリの場合はメンドリが警戒音を一声あげ
それをきっかけにメンドリとヒナが一団となり
風のようにその場から走り去るのです。

ですのでこの場合もメンドリはきっと
「さあ、ママについてきなさい」の叫びをあげ
里子2羽とともにその場から
とにかく逃げようとするだろう、と
私は予想いたしました。

・・・私の理解は甘かった。

里親メンドリと里子ヒナの視点からすると
『おやつを食べてのんびりしていたら
突然庭の向こうから
体の大きい見ず知らずの男が
わけのわからぬことを叫びながら
口から泡を吹いて飛びかかってきた』
という、これは
腰が抜けて当然という恐怖の光景

しかしこの瞬間、里親メンドリの本能スイッチも
ものすごい勢いでオンになったのでございます。

メンドリは普段の警戒音に似てはいるものの
少し調子の異なる叫び声をあげ、
それを耳にするなり里子ヒナ2羽は
母親の足元から踵を返して
一目散にニワトリ小屋に駆け込んでいきました。

その間、メンドリは襲い掛かってくる
狂気の父ガチョウから目を離さず、
ガチョウが宙に舞い
翼を繰り出してきたのに対し、
己も翼をはためかせ飛び上がり
なけなしの武器である足の爪を
ガチョウの顔に向けて突き出して迎撃。

同時に彼女は私がこれまでに
耳にしたことのない絶叫に喉を震わせました。

種の違い、類の違いを超えて理解できる
「うちの子に手を出すなら、まず母である
私の息の根を止めてからにおし!」
という、この命を賭けた啖呵

・・・すごかった!

あまりの迫力に父ガチョウも驚いたのか
少しひるんだような様子を見せて後ずさり、
その隙を見逃さず母ガチョウも
ニワトリ小屋に向かって閃光のように走り込み。

父ガチョウも慌てて彼女の後を追い
ニワトリ小屋の中を覗き込んだのですが
小屋の中ではヒナ2羽がきゅうきゅうと
安堵の声をあげて里親メンドリを迎えており
・・・ここでやっと父ガチョウは冷静になった模様。

あれ、そういえばウチの子は皆
僕の背後にいたような、みたいな。

お父さん、気持ちはわかりますけど
貴方は社会の迷惑です・・・!

それでも未練たらたらでニワトリ小屋の前を
右往左往する父ガチョウを
今度は私が庭から追い出したのでした。

ちなみに父ガチョウがそれなりに根性を見せて
里親メンドリに戦いを挑んでいたその時、
母ガチョウは冷静に自分の子供の数を数え
「1、2、3、4、5、はい、皆いるわね。
あー、お父さんはね、いい人なんだけど
算数に弱いのよ、あれさえなければねえ」
みたいな感じに悠々と子供たちを引率し
散歩道を戻っていた様子です。

ええ、父ガチョウの演算能力は
「1,2,3・・・たくさん!」なので
自分のヒナの数が5羽だろうが7羽だろうが
それはどうも『同じこと』みたいなんです。

ともあれ、危ない闖入者を
前庭からは閉めだしたものの、
里親メンドリと里子ヒナにとっては
かつてない恐怖の
経験だったであろうこの出来事。

怯えてしばらくは小屋の外に
出て来られなかったりするんじゃないかしら、
と私は心配していたのですが、
これは杞憂でございました。

里親と里子はその後また
すぐに前庭に姿を見せると
幸せそうに『おやつ』の続きを
ぽこぽこ食べ始めたのでした。

むしろ単なる目撃者である私の方が
しばらく震えが止まらない事態でありました。

里親メンドリは大したものです。

そして父ガチョウも(間違ってはいたけれど)
(迷惑でもあったけれど)やはり
子を持つ父として大したものだと思ったのです。


目つきの怪しい大男が奇声をあげつつ
突然庭に乱入してきて
凶器を振りかざしたその瞬間
あなたは子供に対して
「逃げなさい!ここは私が
なんとかするから逃げなさい!」
と反射的に叫ぶことができるか

母性がどうの、父性がどうの、
親としての資格がどうのと
色々言われる昨今ではございますが、
私の周囲にいる『子供を持つ親』の皆様は
そういうことを自然にやってのけそうな気がします

うん、あの人もこの人も
フツーに身を挺して子供を守りそうだ

生き物の本能としてそれは
当たり前の行動なのかもしれないんですけど
でもやっぱりそれはすごいことですよね

それにしても我が家の
里親メンドリは素晴らしい
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