デヴィッド・オースティンの

バラ園話が続きます。

 

 

黄バラでは他に

『デイム・ジュディ・デンチ

(Dame Judi Dench)』も

よかったのです。

 

 

正しくは『アプリコット』色らしいですが

それって黄色の仲間と違うの

 

「これ、『007』で『M』の役を

演じた女優さんの名前ですよね」

 

 

 

「そうそう。想像してみろ、

このバラを我が家の庭に植えるだろ?

そうしたら我々はこの子のことを

朝に夕に『うちのM』って呼んで

可愛がることができてしまうんだぞ」

 

 

興奮する夫(英国人)をさらに煽る私。

 

 

さてこちらのお庭では様々な種類のバラが

時には単体で、時には鉢植えで、

時には『クライミング(つるバラ)』型で

庭のあちらこちらに置かれています。

 

散策を開始して40分も経つと

「お、この黄バラもいい感じだね」

と近寄ると足元には必ず

『レディ・オブ・シャロット』か

『デイム・ジュディ・デンチ』の

名札がある不思議。

 

 

いえね、他の黄バラとこの2株の

どこが違うのかというと

それはほとんど説明不可能な

差異の微細さなんでございますよ。

 

人間はこういう『好き嫌い』を

いったいどこで

判断しているものなんでしょうね。

 

 

「ところでこの『デイム・ジュディ・デンチ』は

やっぱり女優のデンチにちなんで

名づけられたバラなわけですよね?」

 

「そりゃそうだろ。

『デイム』までついているんだし」

 

「こういうのは女優側から

是非私の名前をつけてくれって

売り込みをかけるものなんでしょうか、

それともバラ育成者側が

ジュディに惚れ込んで

名前を付けさせてくれって

頼むものなんでしょうか」

 

「・・・やっぱり後者じゃないか?」

 

「その場合、名前の

使用料みたいなものを

バラ育成者側は

女優側に払うものなんでしょうか?

ジュディは無料でいいわ、と言っても

事務所は貪欲だと思うんですけど」

 

「うーん、でもこういうのは

『名誉』みたいなところもあるだろうしな、

そこでお金を求めては無粋というか」

 

「そうなるとバラに

自分の名前がつけられるにあたって

本来の名前の保有者はどこまで

希望を出せるんでしょうね?

たとえばバラの色なんかはこれ、

ジュディが選んだんでしょうか

それともデヴィッドが選んだんでしょうか」

 

自分の名前の付けられたバラが

生み出されるのは名誉ではありますが

そのバラが自分の好みに合わない場合、

それは相当なジレンマを伴うというか。

 

「こういう奇抜なのが

絶対にお似合いと思って!」と

薄い紅色に黒の斑点が

飛び散っているバラを

捧げられてしまっても、ねえ。

 

 

・・・あれ?

 

そうなるとこれは

物凄く遠回しな

嫌がらせにも使える手段か?

 

 

ともあれバラ『デイム・ジュディ・デンチ』は

非常に女優ジュディ・デンチらしく、

流石デヴィッド・オースティンという

感じなのでございました。

 

投げも投げたり、打つも打ったり。

 

 

ジュディは今年の新作ですって

 

なおバラにわが夫の名前を付けるなら

そのバラの色は白、花弁は大きく

『寒さに強く病気になりにくい』

みたいな感じを希望する私

 

香りはあんまり強くない方向で

 

私自身は黄バラ

(色、濃い目)かとも思うんですが

『剪定を間違えるとひたすら

葉が茂り茎が伸び

馬鹿みたいに高い位置に花をつけ

もはや手の施しようがなくなる』

みたいな注意書きが

付記されそうな懸念がございます

 

自分の名前がつけられて

それなりに様になるバラはどんなバラか

 

これって考えてみると結局は

自意識との闘いになりますね

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