「ちり紙交換」もみかけなくなりましたね。 | 台場一丁目商店街プロデューサー久保浩の    昭和ダイアリー

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レトロブームの仕掛け人久保浩が「昭和」の時代の古き良き、暖かな日本人の心を伝えてまいります。

毎度お騒がせしております ちり紙交換でございます 古新聞 古雑誌 ご不要になった・・・


昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々

私が初めて古紙回収車のアナウンスを聞いたのは1970年代の始めだった。当時、家のトイレはロール紙だったが、

ちり紙という言葉は死語ではなく、箱入りのティッシュペーパーやポケットティッシュはまだ珍しい時代だった。

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今のティッシュにあたるのは「ちり紙」で、B5版位の紙を束ねて十字に結んだものが売られていた。

トイレ用はくすんだ色の再生紙で、質の良いものは化粧紙と呼んでいたと思う。

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学校へ持っていくのは、ちり紙を折り畳んだもので、女子の間では香水紙という香り付の携帯用化粧紙
が流

行っていた。学校の前の文具屋で売っていて、実用品というより、香水鉛筆と同じようなオシャレ文具の感覚があった。

ティッシュが普及したのは、あっという間の出来事で、70年代の半ばにはちり紙は過去のものというイメージだった。

それでも、祖母がお小遣いをくれる時は、化粧紙に包んでいたし、出かけた先の和式のトイレにはちり紙が置いてあった。

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こんな「バネ秤」で古新聞や古雑誌の重量を量ってくれたのを覚えていますか?近所にちり紙交換が

やってくると、走って呼びとめに行かされたものだ。

 

 

最近は見かけなくなったなぁ・・・。

 

 


 

 

 

ご一読ありがとうございました!


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