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前の記事の冒頭の文章を読んだ方から
こんな質問を頂きました。

“ あやさんは、自分が運動するにあたって、そこに強迫性を感じたりしますか?
私は運動を始めると、どうしても運動強迫に陥ってしまうので、もうずっと運動に手を出せません・・・’



摂食障害でも「運動強迫」が
ある人とない人がいるのですが

強迫がある人にとっては、
運動をやめる(減らす)のも
とても怖くて大変なことなんだよね。

”強迫”というのは
単に運動を続けるだけの意思が強いのだから
問題ないのではないか、といわれたるするんだけど
ソレ、いわれると強迫の人は辛いものなのです。

だって 体や心が苦しかろうと、
日常生活とバランスがとれなくなろうが
「それを行う」ことが儀式にようになっていて
やめられないような状態が「強迫」なわけだから。

私も 運動強迫は18年の摂食障害の途中から
食事制限だけではやせなくなってきたので
どんどん増やしてひどくなっていったクチなのですが

ソレを、減らそうと決めたのは
私の本やブログ初期にも書いきた通り

栄養不足とともに
「運動しすぎ」も

「食べずに運動してもじりじり太る
 省エネ体質の原因」」と指摘されて
運動を「減らす」よう指導されたことがきっかけです

まあそこから、順調に痩せるわけじゃないので
「太る覚悟」「痩せないかもしれない覚悟」も
するときがきて、

そこで
「体型に依存している心の問題」
自尊心の低さと
コミュニケーションの下手さ
と向き合っていくことになったわけなのですが。


このページでは運動のことだけにお応えすると
回復途中はやっぱり、
質問者の方のように強迫になっちゃうときもあったよ。


このブログ書き始めた2008年ごろも、
全く生活に支障はない程度の運動量にはなってたけど

疲れてるときや時間がないときも
「やらなくちゃな~」ってちょっと苦しい感じはあったと思う。

一生懸命、
休むこともダイエット、大丈夫、っていう情報
みんなの紹介してるけど
自分にもそういいながら、
私自身も休むことを意識的にしてた、かんじだったかな。

↑このくらいだったら、
摂食障害ではない人でも
そんな感じで健康に過ごしてる人はいるから
その人がつらくないなら問題ないんだと思う。


でもわたしは、
さらにそこから進化があって

今は、生活パターンが変わって
やりたいこと、やるべきことがあるときは、
その時やっていた運動を一ヶ月でも
半年でもやりません、

やらないで大丈夫というより
運動のことは忘れいます。

その時々の
「今」したいこと、すべきことを
楽しんでたら忘れる。

そういう自分を昔はだらけてるって思っていたけど
それが今は心地よくて
心から笑える余裕が持てる今の時間が、とても好きです。



摂食障害の方や、
病気でなくてもダイエット依存の素質がある方に
多いのですが、

運動の”目的”が
「体重を減らす」とか「体形を変える」など
「成果」に着目するようになると

自分の体、心が感じる「心地よさ」よりも
成果を出すこと
成果を維持することを優先し始めてしまい
その結果、「強迫」になる

・・・という心の性質(特性)を
お持ちの方が、いるのです。

私もそのひとりだよ。

多分いまでも
成果に着目して運動をはじめると
ちょっとしたことでも強迫的になっていくとおもう。

っていうかそうなの。

ココまでラクになるまでに
何度もソレを繰り返して
やっと自分の特性を受け入れて、
そのやり方を自分に押し付けるのやめました(笑)

強迫的になるってどういう感じかというと

体が疲れてても、
その時の日常生活の予定で
運動の時間や余裕が作れずキチキチの日でも
気分が乗らない日でも

やろうと決めた運動を決めただけ
やらなきゃ・・やらなきゃ・・・
と焦燥感。


できないと
どうしようどうしよう・・
と罪悪感。


家族や友達とご飯を食べることより
やりたい仕事や
いってみたい場所に行くより

「予定通り運動をこなせるか」
ばっかり気になって

まるで 人生が運動に
のっとられりみたいな感覚になる。


皆がそうなるよといってるのではなくて
そんな傾向が、
自分にもあるなぁ~と思う方は、

体重を減らすとか筋力をつけるとか
体の形を変えるとか
「成果」を出すことや出した成果を維持することを
運動の目的にするのではなくて

単に自分自身の体、心が感じる
「心地よさ」「楽しさ」のために
今の自分にできる運動をしよう、
って考えてみるといいよ。

っていうことです。

それをできなくさせているのが
体重測定とか
サイズ測定とかだったら
ソレをやめる
のも一つのステップだと思う。


(↑ 私もこれは大きな決断と時間が必要で
すぐにできたわけじゃないので
簡単にいってるわけじゃないからね)

自分の感覚を中心に
楽しいから、心地よいから
やりたいなあって思う感覚のための
エクササイズ

と考えると 
その時々の自分の生活リズムや
体調や心の調子にあわせて
無理なく運動と付き合えるようになっていくと思います


どんな運動をするかも
どれだけ運動をするのかも
その時の自分の感覚でしたいものをしたいだけ。

同じ運動でも、
その時の気分や体調にあわせて
強度や回数を減らすことも、
やらないを選ぶこともよし
と、わたしはしています。

ずっと続かなくたっていいんだよ。

今はヨガが好き
なんとなく飽きたらエアロ
また飽きたら散歩。。
でも心地よい運動習慣は続いてるし

その日によって違ったっていいよね


暫く運動しない期間があっても
またしたくなったらする、
またしたいと思える生活環境になったらやる

とかだって
人生全体でみれば
やすみやすみ「続いてる」ってことになるので
それもよし、なんです。


それを「よし」にしないから
せっかくの楽しい運動も
「辛いこと」になっちゃうのだとしたら

それって何か勿体無いなって思うのよ。


私自身もそんな感じです。

エクササイズは生活習慣に溶け込んでるけど
しない時期もありつつ、続いてる、
という風に私は思っています



運動強迫があったときは
一日休むのなんてこわかったし
毎日やってたものが週に一度や二度になるのも
恐ろしかったけど、

少しずつやせることより
優先したい大切なもの、人、こと
を見つけてきたからできたのかな。


そのしたいことをするためには
会いたい人にあうためには
行きたかった場所にいくためには
「今日は特別、まあいいか」って
休む、やらない、を選択肢にいれられるようになったよ。

それが
「今週は、まあいいか」になり
「今月は、まあいいか」もできるようになり

今は全然考えることもなく
したいかしたくないかで
決められるようになった感じです。


食事でも運動でも
一度体が心地よくなる爽快感を覚えたら
ほうっておいても 必要になったら
体が(脳が)その快感を求めるときがくる

人の体って生きるために
そういうふうになってるんだと思う

ソレが機能しなくなるのは

生き方も食べ方も運動の仕方も

自分の心がしたいかどうかより
すべこと しなきゃいけないこと、ばかり
自分に押し付けてきたから、、

私の摂食障害も

過食とか無理矢理痩せるとか
無理して親や世間に認められるように振舞って

自分の心身を後回しにしてばっかりで
本当に自分の心や体を心地よく満たすこと
自分からとりあげてきたから

苦しみつきの過食とか痩せることとか
苦しみと虚しさが伴う
一瞬の快感で埋めるしかなくなっていたんだ


**’

長い間やってた運動を
長い間やらなきゃそれは筋力へりますが
今日の記事にも書いたように
そんなにすぐ減るもんじゃあありませんし

筋肉が減れば全体の線は細くなるので
それもそれでいい、

また運動をやりたくなってきて
その結果筋力がついたらついたで
引き締まる感じになるしそれもよし

と どちらでもよいと思えるようになったのも
大きかったかな。

どっちでもいいと思っているくらいのほうが
「強迫」になりがちな人にとっては

その日その時の生活のバランスの中で
心地よくできることをできるだけやる、
ができるようになったり

やったりやらなかったりしながら
長期的にみると続いてる・・・みたいなことが
自然にできるようになっていくよ。


ここまで
自分も心当たりがあるわ・・って思う人も

「こうしなきゃ駄目」っていう思いこみが強いほど
ソレを手放すのが怖いと思うけど
これならできそうっておもえることからゆっくりね。

ラクになる過程は波があるのが当たり前だから
年単位でみること

しかも一部だけ凝視するのではなく
去年よりここはよくなったなとか
悪くなった気がするけどここはよいよねって
全体をみていくこと

なども、口うるさくかいてきたことだけど
忘れないでね


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