V.E.フランクル『夜と霧』を読み終えました。

 

 

著者V.E.フランクルは1905年オーストリアに生まれました。

ウィン大学医学部を卒業した精神科医です。

 

1938年にナチスがオーストリアを併合したころから、

フランクルの前に暗雲がたちこめ始めました。

フランクルはユダヤ人だったのです。

 

1941年に結婚したフランクルでしたが、

翌年には強制収容所へ連行されます。

両親や妻も同様に強制収容所へ。

そして父親は強制収容所で亡くなってしまいます。

実は母と妻もほどなく別の収容所で死亡していたのですが、

もちろんそのことをフランクルは知る由もありません。

むしろ知らなくて幸せだったのかもしれませんが。

 

強制収容所でフランクルは、

家族以外にも自分自身に属していたものほとんど全てを失います。

たとえば、財産や所持品はもちろん、

立派な経歴もそこでは何の意味も持たないのです。

ただ、ナチスでも奪えなかったのはフランクルの精神活動です。

 

フランクルは強制収容所で手に入れることができた小さな紙切れに

速記記号で見聞きしたことについて書き残していくのでした。

その視点はあくまでも精神科医のもので、

強制収容所内で何が行われているかということよりも、

自分を含め囚われた人々の精神の変化に重きを置いています。

たとえば、強制収容所に入れられた人たちの心の状態を、

第一段階はショック、第二段階は比較的無感動……と、

冷静に分析しているのです。

 

多くの人がご存知のように、

アウシュビッツを始めとするドイツ強制収容所では、

想像もできないほど酷いことが行われていました。

しかし『夜と霧』を読むと、そんな状態であっても

希望と愛こそが人を生かす力になったのだとわかります。

 

しかしその希望もいろいろ。

「クリスマスには連合軍が侵攻してきて

 自分たちは解放されるのではないか

 (解放されればいいなぁ)」

といった希望を持った人の多くが、

12月25日が終わると自殺してしまったそうです。

希望が叶わなかったことが引き金になるわけです。

 

私は希望ってなんだろうと考え込みました。

考えた末、クリスマスには解放されるかもというのは、

「希望」ではなく「希望的観測」にすぎないと結論づけました。

本当の希望は、第三者頼みではなく、

自分がどうするか、どうなりたいかということかも知れません。

それならば、環境がどれほど絶望的になっても、

何とかすれば突破口が作れるかもしれない、と考えられると思うので。

 

ところで、フランクル自身が絶望したり、

ヤケになったりしなかったのでしょうか。

そんなことはありません。

生命を維持するのも危ういような食糧事情で、

かつ激しい肉体労働を強いられ、

それができない人は「選別される(ガス室へ送られる)」状況で、

崩れそうになったようです。

ですが、そうはならなかった。

フランクルは朦朧としながら、ある光景を見るのです。

それは強制収容所から生還した自分が、

大勢のお客様の前で講演をしている光景でした。

それ以来、フランクルは極限状態の自分を客観視するようになったのです。

「この出来事を聴衆に伝えるとしたら?」と。

極限状態を生きている自分から一旦抜け出て、

他人事のようにその事実を記憶(記録)したことが、

彼を真の絶望から救ったのかもしれません。

 

フランクルは1944年にはアウシュビッツにいましたが、

その三日後にはテュルクハイムへと移動させられました。

そして1945年にアメリカ軍により解放され、生還。

1997年92歳で亡くなっています。

 

 

 

ブログランキングに挑戦しています。

もし記事を気に入っていただけたなら、

ポチッとクリックよろしくお願いします。


人気ブログランキング