気にしない生き方、自由な生き方 | 仏光さんの心の相談室

気にしない生き方、自由な生き方

仏光さんの心の電話相談室はこちらをクリック

 

仏光さんの心と体の学校Webサイトはこちら

 

昨日は祝日で休みでしたが、午前中と夕方に少し仕事をしました。昼に筋トレもできて良い休日になりました。私は観光地に住んでいるので、連休などに下手に動くと渋滞に巻き込まれます。もうあまり行きたいと思うところもないし、欲しいと思う物もないので、休みだからと特別何かをする事はありません。そういう事は若い頃にやり切った感があります。今からまた飛行機に乗って海外に行くというのも、若い頃にサハラ砂漠からアマゾンのジャングルまで世界中を飛び回っていたので、特にまたやりたいとも思いません。

 

考えてみると私は子供の頃から異端児でした。やっぱり少し変わっていたのでしょうね。だから人生の殆どを異端として過ごして来たと思います。常にマイノリティー側に居たのですね。今でもマイノリティーですが、私の人生で唯一マジョリティー側になったのは、アメリカの上場企業に勤めていた時です。30歳くらいで役員に抜擢されたし、日本の会社も任されていたし、それでアメリカ人のみんなと一緒に働いていて何の違和感もなかったし、職場の人間関係みたいな問題もありませんでした。とっても働きやすかったです。

 

もちろんアメリカ企業ですから数字で出る結果が全てで、常に売り上げや利益を上げていなければなりませんでしたが、私はそれを苦には感じませんでした。役員になってからはビジネスや経営のものすごい教育を会社がお金を出してくれて受けましたが、それも楽しかったですね。敵対買収でクビになってから日本企業で二つの社役員をしましたが、その時に「日本の会社や組織は大変だなあ」と思いました。私にはとても勤まりません。それでまたマイノリティーに戻りました。

 

今は自分で事業をしているので、つまらない上司との人間関係などに悩む事もありませんが、日本社会から見たらまあ異端になるのでしょうね。事業をしながら仏道修行もして、仏道の本やブログを書いて、物に対する欲もあまりなく、あまり行きたい所もないというのはまあ日本では変わっていると思います。先日私の自宅の名義も家内の名義に変更しました。法的に私は何の物質的資産は持っていません。とってもすっきりして良い気持ちです。今の私の資産は自分の能力と体力だけです。

 

ましてやお祓いなどで見る違う宇宙の次元を国立大学の先生と一緒に観察し、考察していくなどはまさに異端ですね。量子物理学の発達で、最近やっと私も「怪しい、胡散臭い」から抜け出せるようになってきたと思います。一般の人にはまだ知られてはいないかもしれませんが、ノーベル賞級の物理学者が量子物理学の分野で、私の見ている次元を説明するような論文を発表してくれているのでホッとしますね。そのうちこれらが新しい世の中の常識となっていくでしょう。

 

助かるのは、私は他の人が私のことをどう思っているかなど気にならない事です。世間の多くの人は「人から後ろ指を刺されないように」と周りからどう思われているかを大変気にして生きている人が多いですが、私はほとんどそういうところがないので、その分野で思い悩む事がありません。もちろん周りに迷惑をかけるような事もしませんが、同時に周りの人間に合わせようということもありません。人が私のことをどう思おうが、勝手にそれぞれ思っていて貰っていて良いのです。

 

私は私の人生を生きたいのであって、社会の大多数に入って安心するという人生にはしたくはないと思っています。人というのは何をやっても悪口は言うし、何をやらなくても悪口を言うものです。お釈迦様は「話してもそしられ、黙っていてもそしられ、およそこの世でそしられないものは居ない」と言っておられます。まあ2500年前のインドでお釈迦様の悪口を言って回っていた奴もいるのですね。今の世になっても何の変わりもありません。

 

そんな事を気にして生きていくのは、世間のために自分の人生を生きているようなもので、自分のために自分の人生を生きている事にはならないと思います。こういうことが分かっていても、いざ毎日の生活となると大多数に居るほうが安心で、グループから仲間はずれにされる事が一番怖いので、まあ周りに合わせながら生きていくという人が多いです。欧米と比べると特に日本の場合はそういう感覚が強いと思います。そして人はよく大多数の意見が正しいという錯覚に陥るものです。

 

実際はそういう事はなくて、新しい事実の発見などはいつも異端から生まれています。ガリレオは世界の大多数の人間が「天が回っている」と言ってた時に、「いや地球が回っている」と言って異端視されていたのですが、真実は地球が回っているのが正しいのです。

 

世界大戦の時に、日本人の大多数が「お国のために死ぬ」のが正しいとしていて、「戦争をして人が殺し合うのは良くない」などと言ったら異端になって刑務所に入れられたのですが、結果としては戦争などしない方が正しいのです。戦争に負けてから日本国民は大変な苦しみを味わいました。原爆の影響などで今でも苦しんでいる人が多く居ます。また病気になったら大きな病院に行けば安心というのもそうですね。

 

ただ何もせずに自分の思い通りに生きていくのはわがままな自分勝手になりますが、私はお釈迦様が説いた真理を学び、日々心のトレーニングを実践して、毎日の生活の中に学んだ真理を活かした上で、自分の人生を思い通りに生きて、それが周りと違っていても何の気にもなりません。人からどう思われているのか気にならなくなるのには、それなりの努力が必要だと思います。でもそれが自分の人生を本当に生きる事につながるのであれば、その努力は大変面白い努力になります。

 

面白いからこれは努力にはならないですね。仏道修行や仕事やブログや本を書くことは私にとってはとっても面白いので、ただ毎日自分が面白い事をしているのは努力ではないと思います。周りの人は朝早くから夜遅くまで修行や仕事をしていると、それを努力だと言ってくれますが、私にとっては面白い事をしているだけです。気にしないのには気にしない練習が必要です。だから私は「気にしない練習」という本を書いて出版しました。ありがたい事に多くの図書館に置いてもらったり、読者の人も大勢いるみたいで嬉しく思います。

 

自分の人生をどう生きるかはそれぞれの自由です。大多数に合わせながら安心していると自由は制限されますが、異端で居ると自由ですね。せっかくの一生なのだから私は私が望むように自由に生きて行きたいと思います。それには確かにそれなりの努力は必要です。

 

大多数に合わせながら、「一緒や、一緒や!」と安心している方が楽なのですが、せっかくお釈迦様が「ただ一人サイの角のように進め。」と言ってくれているので、私は私の生き方を通して行きたいと思います。真理を知れば知るほどどうしてもそうなっていきますね。ヨガをやっている片岡鶴太郎さんなどもそうでしょうね。それで彼は離婚しましたね。やっぱり私も何処まで行っても異端なのでしょう。でも私はそれで充分幸せです。

 

合掌

 

仏光

仏光さんからのお願い

下二つのアイコンのクリックをお願いします
 

人気ブログランキング参加中。クリックをお願いします

禅僧 仏光さんの心の相談室-バナーブログランキング

ブログ村ランキング参加中。こちらもクリックをお願いします

禅僧 仏光さんの心の相談室-バナーブログ村

 

仏光さんのfacebookはこちらです