皮肉な運命 | くるくるクニラ

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わが生涯に若干の悔いあり!。。。とか言わない。

クニラはバリバリ死刑存置論者だ。

クニラが法務大臣だったら、現状100人以上いる確定死刑囚を
片っ端から始末しているだろう。

クニラが裁判官だったら、今の3割り増しで死刑判決を出す。

そんなクニラであるが、今回の死刑求刑は違うと思っている。

セウォル号の船長が死刑を求刑されたそうだ。

確かに250人以上も死んだ事故である。
救助措置を行なっていれば、ここまで死者は出なかったであろう。
ゆえに、この船長に弁解の余地はなく、
殺人罪に問われるのも当然である。

では死刑は妥当か?

う~んと思ってしまいす。

盲導犬を刺したヤツを死刑にしろとまで極論を言うクニラなのに、
どうした?とお思いでしょう。
天邪鬼?とお思いでしょう(笑)
確かに天邪鬼ですけども。。。

今回、この求刑に対して思うことは、
「事故は事故であり、本質的に悪意はない」である。
ゆえに死刑という極刑は妥当ではないと思うのだ。

もちろん船長には様々な義務が課せられている。
その義務を完全放棄したこの船長の罪は確かに万死に価する。

しかし同じように業務上の事故で言うなら、
赤ちゃんすり替え事故の方が罪深い気がするし、
それが事件であれば、かなりの悪意を感じる。

例えば、この船長が救助措置を完璧に行なった。
だが、結果、同じ死者数だった。
その場合、死刑を求刑されたであろうか?

おそらく罪には問われただろうが、
死刑までは求刑されていなかったはず。

ではこれはどうか?
今回と同じように何もせず、そのまま死んでいた場合は?
この場合も、おそらく死刑は求刑されまい。

では何か?
この船長は生きて帰ってきた事に対して死刑を求刑されているのか?
まるで「艦長は艦と運命をともにせよ」だな。
まぁ、その思想は嫌いではないし、正しいとすら思うが。。。
それこそ極論のような求刑ではないか。

ならば、極論的求刑に対して、こちらもあえて極論を言えば、
海の上であれ、空の上であれ、山の上であれ、
そこに行く行かないも含めて、
最終的に己の身を守るのは己である。
これが大原則。
少なくとも陸上で普通に暮らすよりは危険なんだから。

結局、生死なんて「運」という事になる。
そういう意味では、この船長
生死に関しては250人よりも「運」があったと。
だから生死は結果論でしかなく、
ゆえに250人を殺意を持って殺したわけではないので
殺人罪は問わない。
と、まぁ、こんな考え方も出来るわけだ。

まぁ、でも遺族にしてみれば、
死刑求刑もまた当然な感情だわな。

それにしても、この船長
生きて帰ってきたけど、結局、死刑ってのも、また運命ともいえるが。
死んでいた方が楽だったのも、また皮肉な運命だ。

クニラ(:。)