2014年12月29日
末吉宮は遠かった
27日、「おもろまち駅」から「末吉宮」まで歩いてみました。
歩き出して10分ほどの所で地図を広げながらキョロキョロしていると、
「どちらまで行くのですか?」と、50代くらいのおじさんが声をかけてきました。
困っている人に対して知らぬ顔はできないという「ちむぐりさ」でしょうか。
「興南高校は、まだ先でしょうかね~」と聞くと、地図を覗き込みながら丁寧に教えてくれました。
興南高校男子ハンドボール部は、2014年選抜大会、インターハイ、高校総体の3連覇。
実は、メンバー16名中14名が浦添市出身なのです。
なんといったって、浦添市は「ハンドボール王国都市宣言」をしてしまうほどのハンドボール熱。
興南高校正門前にいる職員も、見知らぬゴーヤー茶に会釈をしてくれました。
パトカーデザインの自動販売機発見。110番と書かれていました。
27日、愛媛県の巡査(21)が交番で拳銃自殺というニュースがありましたね。
人間、絶望の淵まで追い込まれると、「逃げ出す」という選択肢が見えなくなるんですよね。
ホテルの朝食時、好きな飲み物を自販機で選ぶのですが、前に並んでいたある離島の高校生が、
自分の番なのに、後ろに並んでいるゴーヤー茶に、「何を飲みますか?」と聞くではありませんか。
思わず、「どうぞお先に、お先に!」といいましたが、これは何なんでしょうか?
さて、名も知らぬ公園の中を通って、安謝川を遡ることにしました。
川幅の広い安謝川が突然、狭くなりました。末吉公園が近づいているのでしょうか。
ここまでの道のりは、太陽に向かって歩くので眩しい、眩しい道のりでした。
ホテルを出た時には一瞬寒いと感じましたが、今は汗がにじみ出ています。
振り返って末吉公園手前の安謝川を撮影すると、ご覧のように細い水流でした。
右下に、ゴーヤー茶の人影が写っています。
池上永一著 『黙示録』のなかでは、玉城朝薫指導の下、雲湖、了泉が末吉宮で舞う場面が出てきます。
尚敬王冊封のため踊り奉行に任じられ儀保村出身の玉城朝薫は、「組踊」を創作したと言われています。
数年前に末吉宮を訪れた時には、この記念碑までで諦め、引き返してしまいました。
ここからが勝負ですが、階段を登りきると道が三股に分かれていますが、標識がありません。
左折か右折か、直進か・・・まず、直進してみることにしました。
残念、末吉宮ではありませんでした。「宜野湾御殿の墓」と説明版がありました。
いつの時代のものか分かりませんが、立派な石垣、石畳が続ています。
「ハブ」の文字が脳裏に浮かびましたが、ひるむなゴーヤー茶、前進あるのみ・・・
「宜野湾御殿の墓」は、
尚泰王の次男・尚寅(しょういん)=宜野湾王子朝広を元祖とする御殿(王家分家)の墓だそうです。
墓の中に入ってはなりませんぞ。
「神奈川間切りからやってまいりましたゴーヤー茶です」と挨拶をして速やかに立ち去りました。
さてさて、あの三叉路まで戻り、右折してしばらく行くと、やっと「末吉宮跡」の碑が見つかりました。
こちらも古い石畳の古道が続きますが、上り坂が続くようです・・・ハァ~。
(明日に続く)
Posted by ゴーヤー茶. at 05:46│Comments(2)
│伝統と歴史
この記事へのコメント
まいど
末吉公園・・那覇では大きな自然の残る最も公園ですよね。自然というには、余りに人工的な影響を受けざるを得ない立地ですが…。
20年余り前、当方は蝶採集目的で訪れていました。国内最小のホリイコシジミがターゲットでしたね。今は有名なソバ屋になった屋敷の裏にはギョボクがあって、ツマベニチョウの終齢幼虫まで確認できたものです。
今も、森は健全だろうか?
末吉公園・・那覇では大きな自然の残る最も公園ですよね。自然というには、余りに人工的な影響を受けざるを得ない立地ですが…。
20年余り前、当方は蝶採集目的で訪れていました。国内最小のホリイコシジミがターゲットでしたね。今は有名なソバ屋になった屋敷の裏にはギョボクがあって、ツマベニチョウの終齢幼虫まで確認できたものです。
今も、森は健全だろうか?
Posted by 山猫 at 2014年12月30日 01:39
2年前の4月に末吉公園に行った時にも、大きな網を持って蝶々を捕っている人を見かけました。
「この地区は鳥獣保護区なので、自然を壊さないように」という趣旨の掲示板がありました。
森の奥には細い山道がいくつかあり、奥まで立ち入る人もいるようです。
「この地区は鳥獣保護区なので、自然を壊さないように」という趣旨の掲示板がありました。
森の奥には細い山道がいくつかあり、奥まで立ち入る人もいるようです。
Posted by ゴーヤー茶. at 2014年12月30日 08:17
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