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2017年07月20日

八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦

八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


ゴーヤー茶の生まれ育った品川区戸越。

戸越公園の隣にある石塀に囲まれた土地を子どもたちは「三井さんの土地」と呼んでいましたが、

欝蒼とした樹木と石塀に囲まれた「三井さんの土地」は、中を覗きみることができませんでした。

実は「三井さんの土地」も戸越公園も熊本藩細川家の屋敷を明治期に三井家が手に入れたものでした。

はじめて観る「三井さんの土地」は、2013年に「文庫の森」として整備されました。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


「文庫の森」はごらんのようにお年寄りがのんびり散策できる場所になっていました。

もしゴーヤー茶が生まれ育った土地を離れなければ、このベンチに座っていたかもしれません。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


「文庫の森」から北へ向かって歩いていたら、「カメさん広場」の案内板がありました。

「宮前小学校」、「戸越公園」と歩いてきましたが、「戸越台中学」は以前行ったので割愛。

第二京浜国道沿いにある戸越台中学校は10階建の4階部分で、

建物の5~10階および屋上が戸越台特別養護老人ホームという複合型施設なのです。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


どうしても行きたかった戸越八幡神社。

「八幡さまで遊んでくるね~」といって、本殿の下に潜り込んで遊んだものです。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


東海道五十三次、起点は日本橋。「戸越」あたりで江戸を越えるので「戸越」と命名されました。

「富士の高嶺を 軒に見て 波静かなる 品川の・・・」 宮前小学校校歌


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


神楽殿? 昔は無かったような気がします。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


戸越八幡神社そのもののいわれや歴史は興味なし。 ゴーヤー茶の遊び場としての「八幡さま」。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


こんな立派な建物はありませんでしたが、中に置いてある神輿は観てみたいですね。

祭りの時には、戸越4丁目、3丁目、2丁目ごとに大人神輿、こども神輿、山車が道を練り歩きました。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


本殿も遊び場のひとつでした。土台の部分に潜り込み、かくれんぼをしました。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


石造狛犬の上に登って、馬のようにまたがっている子どもの頃の写真がありますが、

当時は叱られなかったのでしょうか。

実は写真屋の父が七五三の記念写真撮影で稼ぐために戸越八幡神社に出店していました。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


子どもの頃はもっと広く感じていた参道です。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


戸越2丁目にある戸越八幡神社、3丁目にあった母の実家、4丁目にゴーヤー茶一家の四畳半。

四畳半で五人暮らしのゴーヤー茶は、恥ずかしいので友達を家に招いたことはありません。

「四畳半に六人暮す家族がいれば 涙の蔵が七つ建つ」という石垣りんの詩句がありますが、

なんでもっと広い家に引っ越さないのかと、父や母に言ったことはありません。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


大井町線戸越公園駅から、宮前小学校、戸越公園、戸越八幡神社を歩くこと90分。

もうこれで思い残すことはありません。


八幡さまで遊んでくるね~  戸越⑦


父ちゃん、母ちゃん、姉ちゃん、弟よ、兄ちゃんは思い出の地を記録に残しておいたからね~

干物の大越、肉のかりごめ、量り売りの菓子屋、食堂竹乃屋はなくなってしまいました。

ベイゴマやメンコ、ビー玉で遊んだ路地までは行けなかったけどね~



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Posted by ゴーヤー茶. at 04:58│Comments(0)思い出話
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