私が今のスタイルのセラピストになったわけ(その2)
さて、前回の私がセラピストになった理由の続きです。
では、つづきの話を読んでみてくださいませ~~!
大学受験は、
カウンセラーになりたかったのに、
心理学部に落ちてしまいました。
そして、
高校生の頭で、福祉事務所のケースワーカーは、カウンセラーに似た仕事と思って、
滑り止めに受けていた社会福祉学部に入学することになりました。
大学内でも『カウンセリング過程』の単位を数個取り、
学生相談室のカウンセラーの開催してくれていた勉強会へも通いました。
なのに、生き辛さは加速したんです。
というのも、高校生までは出来事としてはたいして大変な問題はなかったのですが、
大学入学と同時に、
「カウンセラーにならたいなら、毎週私の研究室へ来なさい。」と言われ、
そこで大学教授からセクハラを受けたことを皮切りに、
いろいろな事件が起こったんです。
大学教授のことを相談するために駆け込んだ学生相談室のカウンセラーには、
最初の相談からかなり時間が経ってからですが、
「妻と離婚するから結婚してほしい。」
と言われてしまいました。
今思えば、私の心の援助をしてもらえるはずの人に、
その命綱を切られたようなものだったのかなぁと思います。
これも、
『高校時代までのかなり両親に依存していた生活から、
両親がイラクのバクダットへ住むことになり、
電話もほとんど繋がらないという状況になって、
寂しくてたまらなかった』、
そんなところに事件が起こって行った発端の一部があったと思います。
そのような環境の変化に耐えられなかったのです。
もちろん、私の潜在意識の奥の方に抑圧した感情や思いがあったことは、
その時は全く分かっていませんでした。
レイプ事件も起こり、
どんどん自暴自棄になり、
寂しさが後押しし、セックスに走りました。
身も心もズタズタになりました。
(大学入学から学生結婚に至る経過だけでも1冊本が書けそうです(笑))
結局、在学中に妊娠し、結婚。
(最初の夫との結婚の経緯は、2009年3月27日に書いたブログの自叙伝④にも書いています
http://secret.ameba.jp/tournesol-therapy/amemberentry-10231791145.html
ただし、タイトルが「中絶」とあるように読みたくない人もいるかと思って、
アメンバー限定記事にさせてもらっています。)
私が元夫と付き合うことになったのは
「世の中に障害者はいらない。使えない人はいらない。」
「俺は親には愛された経験がない。」
と元夫が言った言葉を聞いて
「なんて病んでるんでしょう。私の愛で変えてあげましょう。」
と思ったのですよ。
今から思えば、
そう思った私も、病んでいましたね( ̄◇ ̄;)
最初の夫との間には、2人の子供を授かりました。
ここでも涙涙の子育て奮闘記があります。
学生結婚とか夫は学生という普通じゃない夫婦だったせいか、
預けた保育園の延長には、
「あなたが育てるより、うちに預けていた方がマシかもね」
と言われながらも、
馬鹿にされないようにと必死に頑張った時期でした。
なのに、結婚3年後で、きっかけは夫の浮気が原因で家庭は崩壊。
私は、夫への不満を子どもに八つ当たりしていました。
子どもへ思わず暴力を振るったこともあったぐらいでした。
その割には、子育ての理想も強かったので、
最低の母親だといつも自分を責めていました。
すぐには夫と別れることもできずに、
1年半は家庭内別居だったので、苦しい日々が続きました。
その後、2年間の別居生活を経て、29歳で最初の離婚をしたのです。
大学入学から、最初の離婚までで、
本がかけるほどいろんな出来事がありました。
それは、その後に
「カウンセラーになって私と同じような経験をした人の役に立ちたい」
と思うことにはなっています。
両親との距離的断絶からくる強烈な寂しさ・セクハラ・レイプ・中絶・離婚
今から思うと、
本当にどれも良い経験をさせてもたいました。
~~つづく~~
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日時:2016年2月21日(日)
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大学受験は、
カウンセラーになりたかったのに、
心理学部に落ちてしまいました。
そして、
高校生の頭で、福祉事務所のケースワーカーは、カウンセラーに似た仕事と思って、
滑り止めに受けていた社会福祉学部に入学することになりました。
大学内でも『カウンセリング過程』の単位を数個取り、
学生相談室のカウンセラーの開催してくれていた勉強会へも通いました。
なのに、生き辛さは加速したんです。
というのも、高校生までは出来事としてはたいして大変な問題はなかったのですが、
大学入学と同時に、
「カウンセラーにならたいなら、毎週私の研究室へ来なさい。」と言われ、
そこで大学教授からセクハラを受けたことを皮切りに、
いろいろな事件が起こったんです。
大学教授のことを相談するために駆け込んだ学生相談室のカウンセラーには、
最初の相談からかなり時間が経ってからですが、
「妻と離婚するから結婚してほしい。」
と言われてしまいました。
今思えば、私の心の援助をしてもらえるはずの人に、
その命綱を切られたようなものだったのかなぁと思います。
これも、
『高校時代までのかなり両親に依存していた生活から、
両親がイラクのバクダットへ住むことになり、
電話もほとんど繋がらないという状況になって、
寂しくてたまらなかった』、
そんなところに事件が起こって行った発端の一部があったと思います。
そのような環境の変化に耐えられなかったのです。
もちろん、私の潜在意識の奥の方に抑圧した感情や思いがあったことは、
その時は全く分かっていませんでした。
レイプ事件も起こり、
どんどん自暴自棄になり、
寂しさが後押しし、セックスに走りました。
身も心もズタズタになりました。
(大学入学から学生結婚に至る経過だけでも1冊本が書けそうです(笑))
結局、在学中に妊娠し、結婚。
(最初の夫との結婚の経緯は、2009年3月27日に書いたブログの自叙伝④にも書いています
http://secret.ameba.jp/tournesol-therapy/amemberentry-10231791145.html
ただし、タイトルが「中絶」とあるように読みたくない人もいるかと思って、
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「世の中に障害者はいらない。使えない人はいらない。」
「俺は親には愛された経験がない。」
と元夫が言った言葉を聞いて
「なんて病んでるんでしょう。私の愛で変えてあげましょう。」
と思ったのですよ。
今から思えば、
そう思った私も、病んでいましたね( ̄◇ ̄;)
最初の夫との間には、2人の子供を授かりました。
ここでも涙涙の子育て奮闘記があります。
学生結婚とか夫は学生という普通じゃない夫婦だったせいか、
預けた保育園の延長には、
「あなたが育てるより、うちに預けていた方がマシかもね」
と言われながらも、
馬鹿にされないようにと必死に頑張った時期でした。
なのに、結婚3年後で、きっかけは夫の浮気が原因で家庭は崩壊。
私は、夫への不満を子どもに八つ当たりしていました。
子どもへ思わず暴力を振るったこともあったぐらいでした。
その割には、子育ての理想も強かったので、
最低の母親だといつも自分を責めていました。
すぐには夫と別れることもできずに、
1年半は家庭内別居だったので、苦しい日々が続きました。
その後、2年間の別居生活を経て、29歳で最初の離婚をしたのです。
大学入学から、最初の離婚までで、
本がかけるほどいろんな出来事がありました。
それは、その後に
「カウンセラーになって私と同じような経験をした人の役に立ちたい」
と思うことにはなっています。
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今から思うと、
本当にどれも良い経験をさせてもたいました。
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