MBAによるキャリアチェンジへの挑戦
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世界標準研究を発信した日本人経営学者たち

神戸大の小川進先生が、経営学の分野で世界的に高い評価を受け、被引用回数が多い伊丹敬之先生の「見えざる資産(Invisible Assets)」、一橋ICSでお世話になった野中郁次郎先生と竹内弘高先生の「Knowledge Creating Company(知識創造企業)」、東京大学の藤本隆宏先生(とハーバードのクラーク教授)の著書 「Product Development Performance(製品開発力)」、延岡健太郎先生(とダイヤー)の研究論文が生み出されるまでの過程につき記載している本。特に、第1章から第3章までが、とても興味深い。

 

第1章の伊丹敬之先生については、Darden Business Schoolに交換留学をしていた時に受講したStrategy Seminarのクラスで、伊丹敬之先生の本や論文が引用されていることが多いということを気付き、「伊丹敬之先生の経営学に対する貢献はかなり大きい」というブログ記事を書きました。伊丹敬之先生の一橋の学生時代からの経歴が書かれてあり、今では、伊丹先生は、経営戦略論の先生で数字を使うというイメージがないが、昔は、数学や経済学などの数字を使うプロで、管理会計の分野で、米国においても高い評価を受けていたことにとても驚いた。伊丹先生は、カーネギーメロンの博士課程では、学生時代のオペレーションズ・リサーチから管理会計が専門の井尻雄士先生の指導を受けるため、管理会計に専攻を変え、数理計画法のモデルを予算管理に適用して博士号を取得。博士論文に対するアメリカ会計学会の評価は高く、1977年にアメリカ会計学会からは博士論文をもとにした本が出版され、その書籍は1978年の日経・図書文化賞を受賞する。スタンフォード大から就職のオファーもあったが断り、一橋大学に就職をすることにした。その後、スタンフォードで管理会計の授業を教えていた時に、数学を経営に応用することを考えるのをやめることにし、管理会計から足を洗う。そして、神戸大の吉原先生、加護野先生、一橋大の榊原先生と一緒に行った「企業の多角化戦略」の共同研究を通じて、情報的資源の考えが生まれ、伊丹先生の見えざる資産(Invisible Assets)の概念が生み出される。伊丹先生の著書をたくさん読んできたが、伊丹先生は、数字にも強く、これほどまでに頭の良い日本人の経営学者はいたのか?と思ってしまうほど、伊丹先生の頭脳に対する驚きと感動の話であった。

 

第2章の野中郁次郎先生の学者としての歩みについては、日経新聞の2019年9月に掲載の「私の履歴書」にも書いてあったし、一橋ICSのMBAのクラスで野中先生や竹内先生が「知識創造企業」の著書が生まれる過程につきお話をされていたので、ある程度、知っていたが、この本では、「知識創造企業」の著書が誕生するまでの過程につき、「日米企業の経営の比較分析」の共同研究者の話を含めながら、整理されて書かれてある。個人的には、1986年にハーバードビジネスレビューで竹内先生と野中先生が発表された「New New Product Development game」という今のアジャイル開発の原点と呼ばれる論文が、次章の主人公である藤本隆宏先生に強い影響を与えたハーバードビジネススクールのアバナシー教授からの「米国企業と比べると日本企業の製品開発はリードタイムが短くスピーディーに新製品を市場に投入してくる謎を解いて欲しい」という要請がきっかけだったというのが、興味深かった。アバナシー先生の目の付けどころが凄かったということを示唆するエピソードだと思う。

 

「知識創造企業」が出版された当時(1995年)の一橋大学の商学部には、野中先生、竹内先生、伊丹先生など世界的に有名な経営学の先生達が在籍していたことを考えると、一橋商学部がとても輝かいていた時代で、そのような凄い教授陣がいる環境で経営学の勉強をすることができたことは今から考えると夢のような話だったと思う。

 

第3章は、自動車研究で世界的な権威となる東大の藤本隆宏先生。藤本先生は、学生時代に農村の実地研究をし、三菱総研では入社後、自動車業界の調査を担当する。藤本先生の三菱総研時代の仕事ぶりは伝説化されるほど超人的だったとのこと。入社して2年目くらいの時に、憧れのハーバードビジネススクールのアバナシー教授が、藤本先生の好奇心の高さとハードワークのコミットメントから、藤本先生にハーバードビジネススクールの博士課程にお誘いをしたが、藤本先生はお断りしてしまう。その数年後、ハーバードビジネススクールの(後年、学長になる)クラーク教授から、再度、藤本先生にハーバードビジネススクールの博士課程へのお誘いの声がかかり、藤本先生はハーバードの博士課程に進学をすることを決める。そして、藤本先生は、世界中の自動車メーカーの新製品開発の研究をし、「重量級プロダクト・マネージャー」という概念を生みだすことになる。藤本先生は三菱総研時代の仕事ぶりが、米国のハーバードの教授陣から高く評価されるほど、ハーバードビジネススクールの博士課程に入学する前から凄く優秀であったというエピソードが強く印象に残った。また、この章を読み、若くして癌でなくなってしまったアバナシー教授が、「人と違うすごいことを考える」人であったことや人間としても魅力のある方であったことが、藤本先生のエピソードを通じて、十分すぎるほど伝わってきた。

 

経営学の分野で世界的に高い評価を受けた伊丹先生、野中先生、藤本先生のコンセプトが生み出されるまでの過程を紹介するこの本を通じて、改めて、世界的に有名な経営学のコンセプトの話は面白いと思った。

 

 

なお、最後に、ご参考までに、類書として、経営戦略論の進化の歴史を描いた「経営戦略の巨人たち-企業経営を革新した知の攻防」を紹介しておきます。ボストンコンサルティングのPPM、マッキンゼーの大前研一、ハーバードビジネススクールのマイケル・ポーターやミシガン大学の教授だったC.K.プラハラードやゲイリー・ハメルの話が出てきます。MBAで一通り、経営戦略論を学んだ方であれば、知的興奮を覚えながら、最後まで読むことができると思います。

 

 

 

以下は、世界的に高く評価された本のリンクです。

 

 

 

 

知的財産管理技能検定1級(特許専門業務)に合格し、一級知的財産管理技能士になりました。

 国家試験「知的財産管理技能検定 1級(特許専門業務)」に合格し、「一級知的財産管理技能士(特許専門業務)」になりました。

 

 知的財産管理技能検定1級(特許専門業務)は、日本企業における特許実務の管理(マネジメント)能力を測る試験です。学科試験と実技試験に分かれており、年に1回しか学科・実技試験が行われていません。学科試験は2017年以降、試験問題が難化して難易度が高くなり、私が合格した2020年11月の第37回の学科試験の合格率は5%でした。1級の試験の対策本や対策講座は存在しないのに等しく、法律(主に特許法、民法、民訴法)および日々のメーカーでの特許実務に関する問題が問われます。

 

 本試験を受験しようとしたきっかけは、2017年に日本に帰国後、日本のグローバルメーカーにて知的財産業務を管理職として行っているが、①知的財産法や民法などの法律知識を習得したいこと、②本試験は外国特許出願実務など自分の強みの分野が出題されること、③MBAホルダーとして、経営管理に追加して知的財産(特許)のマネジメントの資格を保有することが魅力的に思えたから、などです。

 

 2018年に試験勉強をし、1回目と2回目はわずか1-2問足りないボーダーで落ち、3回目の挑戦で学科に無事、学科に合格をしました(3回目は合格基準の80%に自己採点では1問足りておりませんでしたが、2問底上げされて、82%で合格。)。実技試験は20分で15問を解かなければならないという時間的制約以外は、特に大きな問題はありませんでした。

 

 1級学科試験については、過去問を完全に潰したとしても、未知の実務問題が出てくるため、法律の基礎知識を身につけておき、法律問題で点数を落とさないことが合格にとても大事だと思います。

 

 以下では、最難関である学科試験に対して、法律知識がほとんどない状況からどのように勉強をして合格をしたのかを、記録に残しておきたいと思います。

 

①    特許法・条約(パリ条約、PCT)

 1年目は、LECの宮口聡講師の弁理士試験の「入門講座」と「短答基礎力完成講座」の特許・条約のパートをDVD受講し、特許法と条約の基礎知識を習得しました。また、宮口聡講師の「最判道場2018」をライブ受講し、判例についての知識も習得しました。

 2年目は、高林龍先生の「標準 特許法」を精読しました。同書は、司法試験で知的財産法を選択科目とする受験生の特許法の必読の基本書です。

 

 

 3年目の学科試験の直前の際には、過去問はやり尽くした感があり、他の教材に手を出したいと思い、LECの「ゴールドweb 宮口聡の司法試験知財過去問解説講座」を受講するとともに、法学セミナーの「司法試験の問題と解説」の新司法試験の特許の全部の過去問題とその解説を国会図書館でコピーをして、解いてみることにしました。また、司法試験向けの演習本である「知的財産法 演習ノート」の特許の問題を解いてみました。伊藤塾の司法試験講座の民法の論文マスターの受講後であったので、ある程度、司法試験での民事系の論文問題で問われていることが分かるようになっていたので、これらの司法試験の過去問や演習は面白かったし、司法試験の特許の問題で問われている論点は深いと思いました。なお、弁理士試験の講師である宮口先生の解説を聞きながら、司法試験で問われている論文の書き方(法的三段論法を徹底する)と、弁理士試験の講師が教えている論文の書き方は全く異なることに気づきました。また、特許の「判例百選」にて、1級に出題されたことがある判例について、読んでみることにしました。

 

 

 

 

②    民法、民事訴訟法

 1年目は、伊藤塾の「伊藤真の民法入門」と「伊藤真の民事訴訟法入門」を読み、その後、伊藤塾の「ファーストトラック 民法」と「ファーストトラック 民事訴訟法」を教科書とした山本有司講師と横山えみこ講師のオンライン講座をそれぞれ1万円以下の費用にて受講しました(今は、そのコストパフォーマンスが良い伊藤塾の講座がなくなりました)。

 

 

 

 

 

 2年目は、伊藤塾の「司法試験 入門講座」のライブクラスにて、伊藤真先生から150時間くらいに及ぶ「民法」と本田真吾先生から「民事訴訟法」(50時間以上)を学びました。

 

 3年目は、1級知的財産管理技能検定1級の過去問で問われた民法の試験範囲(民法総則、共有、債務不履行による損害賠償、契約総論、委任、請負)につき、伊藤塾の呉明植先生の基礎本を利用した「民法 基礎マスター」の講座をWeb視聴しました。また、該当箇所の司法試験の民法の短答の問題を解きました。呉先生の民法のクラスは、民法の改正法に完全対応しており、2年目に伊藤先生のクラスで民法の基本的な考え方がある程度習得できていたこともあり、とても勉強になりました。

 

 

 

 

 

 

 

③    契約実務・独占禁止法

 「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」につき、過去問を解きながら、試験に問われている該当箇所を理解するように努めました。

 

④    米国特許法

 米国特許法については実務経験が深いため、特に本試験のために、書籍を購入して読むということはしませんでした。

 

⑤    関税法・弁理士法

 関税法は、過去問の問題を解きながら、出題された条文をPATECHの「知的財産権法文集」にマーキングしていきました。弁理士法は気になったところがあれば、Web上で条文をチェックしました。

 

 

 

⑥    過去問

 アップロード社が出している2012年~2019年までの「1級【特許専門業務】 過去問と問題解説」を解きました。アップロード社の過去問は、解説がしっかりしています。

 間違えた全ての問題の解説をノートに書き込み、試験直前にそのノートを読み込めば、過去問で理解が不十分だった知識を総復習できるようにしました。1年目に作成したそのノートを、2年目と3年目の受験においても、試験直前に読み返すことで1年目に学習した内容を短時間で思い出すことができるになったので、とても良かったです。

 過去問を解きながら、2017年以降、学科試験の問題が難化していることが良く分かりました。

 

 

<合格後の感想>

 1級の過去問を解きながら、企業にて知的財産の実務をする上での新たな気付きや学びがたくさんありました。また、本試験勉強を通じて、企業の知財業務をする上で、特許法だけではなく、民法や民事訴訟法の基礎知識が必要だと痛感し、伊藤塾で法律をゼロから学びたいと思い、伊藤塾の司法試験コースの本科生として「法律」を学ぶことにつながったのは、とても良かったです。おかげで、伊藤真先生の熱い憲法の講義を受講したりして人生や社会観が大きく変わるとともに、法的思考力を高めることができ、知財実務をする上でも大いに役立っています。

 1級の学科試験は、過去問を潰したからといって必ず合格できる試験ではないが、試験勉強を通じて、特許実務において新たな気付きや学び、民法や民訴法の重要性が分かる試験だと思いますので、特許実務従事者にとっては、挑戦する価値のある試験だと思います。

菅野寛教授の「全社戦略が分かる」(日経文庫)

一橋ICSのMBAコースで、大変お世話になった菅野寛教授(現在、早稲田大学院経営管理研究科教授)の「全社戦略が分かる」(日経文庫)を読んだ。菅野先生は、BCG(ボストン・コンサルティング)で長年パートナーを勤められて、自分が一橋ICSのMBAコースに入った2008年に教授になられた方。菅野先生からはオペレーション戦略の授業を習いましたし、色々、教官室でご相談にものっていただき、今でも深く感謝している。

 

「全社戦略が分かる」の目次は、以下の通り。

第1章     全社戦略では何を考えるのか

第2章     事業ポートフォリオ・マネジメント

第3章     シナジー・マネジメント

第4章     全社ビジョン

第5章     全社組織の設計

補論1  全社ガバナンス

補論2  全社人材マネジメント

 

まず、最初に経営者の視点で、全社戦略と個別事業戦略との違いが述べられている。「全社戦略」の定義として、「複数の事業を持つ企業において、本社(コーポレート)が立案・実行すべき戦略」とある。全社戦略では、上記の目次に記載のような内容が問われるのに対して、個別事業戦略では各事業部毎の戦略立案・実行が求められる点で大きく異なる。

 

本書で圧巻だったのは、BCGのPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)により、キャノンの1970年代から2015年頃までのPPMの推移をチャートをもとに、各年代ごとの事業ポートフォリオ上の課題ととるべきアクションが明快に記載されているところ。第2章を読むだけで、なぜ、事業戦略だけではなく、全社戦略の視点が経営者に求められていることが、キャノンの事例から深く学ぶことができる。

 

個別事業戦略に関する研究や書籍はたくさんあるのに対して、全社戦略に関する文献や本は少ない。また、ビジネススクールの経営戦略のクラスでも、中心は事業戦略であり、全社戦略は少ししか教えられていない。その点で、本書にて「全社戦略」をどのように考えるべきか?については、頭の整理がついたし、本質の理解が深まった。本書の内容は、以前のブログ記事に書いた松田千恵子氏の著書「グループ経営」にもつながるものがある。

 

MBAホルダーの方も、改めて本書を読むことにより、「全社戦略」について理解が深まるので、お薦めの書ですので、読んでみてはいかがでしょうか?

 

 

服部暢達氏の「ゴールドマン・サックスM&A戦記 伝説のアドバイザーが見た企業再編の舞台裏」

2010年に、一橋ICSのMBAで夜間の金融・財務コースの服部暢達氏の「M&A ストラクチャ論」を受講しました。当時のブログの記事はこちら

その服部暢達氏がゴールドマン・サックス時代に、M&Aアドバイザリーとして、どのように税務など複雑な問題を克服したり、想定外の出来事に対して交渉していったかなど、M&Aの背景とその舞台裏について実体験として以下の案件について記した著書「ゴールドマン・サックスM&A戦記 伝説のアドバイザーが見た企業再編の舞台裏」を、とても興味深く読みました。

(掲載されている案件)
・住友製薬のサイアル社への出資
・NECとパッカード・ベルのパソコン事業統合
・グラクソ・ウエルカムの新日本実業からの子会社株式買い戻し
・NTTドコモのPHS事業再編
・DDI・IDO・KDD三社合併
・ダイムラーの日産自動車買収作戦
・ダイムラーの三菱自動車への資本参加
・AOL日本法人の再編
・GEキャピタルの日本リース買収
・ロッシュの中外製薬買収
・NKKと川崎製鉄の対等合併

特に、最も興味深かった話が、ダイムラーが1998年に買収しようとしていたトラックメーカーの日産ディーゼルの不良債権問題に伴う複雑な問題を議論していた際に、服部氏の古巣の日産自動車から「日産ディーゼルはもういい。日産本体を買ってくれないだろうか?」と切り出された話。服部氏は、日産自動車の大規模な粉飾決算?と疑ったが、日産自動車は米国での資金繰りの問題による財務危機を救うため、日産ディーゼルを売却しようとしていたことが判明。日産は、米国での2年以上の債権を30~60日のCPで調達していたことも問題であるが、その穴埋めを日産のメインバクが為替リスクにさらされる円建て借り入れ・ドル送金で行ったことが、財務危機になったとのこと。その後、ダイムラーやルノーを含めた日産争奪戦になっていく。(今回、日産が経営危機になった裏事情を始めて知りました。)

また、服部氏はゴールドマンサックスの古き良き「投資銀行として特異なチームプレーを重視するカルチャー」を絶賛しているが、1999年に上場してから、短期間にそのカルチャーが変貌を遂げたことについても、詳細していて、興味深かった。

最後に。服部氏の会社やキャリアに対する考え(以下、赤字)は、本書をつらぬくメッセージとして、何度も出てくる。

「会社は個人のために何かをしてくれる味方ではない。」
「会社は敵とまでは言えないが、少なくとも会社と個人は常に対等な勝負の関係だ。」


自分は何回も転職しているため全く同意であるが、会社に頼らずに生きていく重要性を再確認した思いであった。

 

 

三枝匡氏の最終作 「ザ・会社改造」340人からグローバル1万人企業へ

 MBAコース在学中に三枝匡氏の三部作を読んだことについては、ブログ記事「三枝匡氏の三部作を読むと心が熱くなりました」に書きました。

 

 三枝匡氏の三部作の続編で、ミスミのCEOとして、12年間にわたり仕掛けてきたミスミの変革の実話「ザ・会社改造 340人からグローバル1万人企業へ」を読むと、また、心が熱くなりました。ミスミのグローバル化、オペレーション改革、会社に「戦略志向」を吹き込む等の”改革の連鎖”を次々と仕掛けていき、ミスミを前代の創業社長とは全く異なる競争優位性のある会社に大変革させた。これこそ、まさにMBAで学ぶ「変革のリーダーシップ」の実話。三枝匡氏本人がどのようなことに悩み、挫折を経験しながら、実行していったかが克明に記載されている。事業再生専門家(ターンアラウンド・スペシャリスト)である三枝匡氏が、57歳から最後に東証一部上場企業であるミスミで手づくりで「会社改造」を行い、経営者人材を育てて国際的手企業を作りたいという決意で、社長を引き受けた話から、感動の物語が始まっていく。MBAホルダはー、会社変革とはいかに厳しいものか?、会社変革には戦略性が必要であるということを、改めて考え直すのはとても良いので、是非、この本を読むことをおススメする。

 

印象に残った3つの話を、以下に書く。

 

① 多角化事業からの撤退および社員に”競合の認識”を叩きこむ

 ミスミは創業社長時代に、本業である金型部品事業が成熟段階に入ったこともあり、新規事業をたくさんトライし、多角化を進めていた。しかし、ミスミの多角化事業は本業とのシナジーもなく、新事業同士のシナジーもない。やがて、三枝氏は、社長就任直後に、金型事業と並ぶ本業に育てあげるファクトリー・オートメーション(FA)部品事業以外のほとんどの事業から撤退を決める。

 三枝氏が、社員が「潜在市場」がいかに大きいかを示すプレゼンをしていた時に、”競合の認識”が決定的に欠けていることを社員に厳しく指摘する場面の言葉がとても印象的であった。

「市場規模が3,000億円で、あなたが狙っている売上高は10億円。新事業の提案としてはおかしいと思いませんか?。5年後に、残りの2,990億円は誰がやるのですか?

 戦略では、常に競合優位性を考えなければいけないが、自社や潜在市場の視点でのみ考える社員に、戦略性を厳しく叩きこむシーンである。

 

②  ミスミの中国事業立ち上げ時の「おまえは、会社を潰す気か!」という厳しい発言

 三枝氏が社長就任直前に、ミスミの中国進出が決まっていた。三枝氏は、中国事業リーダーの加々美(仮名)が3人で中国事業の立ち上げをするということで、懐疑心を抱き、「探偵(スパイ)にでも行くのか」と言い放つ。加々美は、上海で少ない人数でのゼロからの立ち上げにおいて死の谷に陥り、チャチなカタログで事業立ち上げをしたら、会社を去ろうとまで思いこむほど、精神的に追いやられる。そこに、三枝氏は、上海に到着後、加々美より中国事業の進捗報告を受けていた瞬間に

「おまえは、会社を潰す気か!」

という激しい言葉を発した。この言葉の背景には、ミスミが、中国進出を試みたものの短期間で失敗し、そうそうに引き揚げていった他の多くの日本企業のケースと同じになる。そうなれば、中国の競争脅威が日本市場にまでおよび、日本の本業までやられてしまう、危機感があったからである。

 その後、三枝氏は、中国でミスミの事業展開にあたり、中国企業に対する競争優位を保つ戦略として、日本の協力メーカーと一緒に進出して「ミスミ村」を作る構想を発表し、実行していく。先日、上海から蘇州に向かう途中に「Misumi」の看板を見かけたが、これこそ、三枝氏が構想した「ミスミ村」だということに、本を読んで気がついた。

 

③    優秀な人材の抜擢人事の感動的な成功物語

 三枝氏は、「駿河精機の生産改革」と「カスタマー・センターの改革」に対して、それぞれ、外部から雇ってきた専門家を登用して進めたが、大失敗し、挫折に陥る。再度、絶対に失敗できないという状況に陥った際に、他の部門で成果を出していたが、これらの分野に全く知見がない素人同然の人物を抜擢する。当時43歳の西堀洋平(仮名)氏を駿河精機に、総合商社出身で中途入社の当時36歳の武田義明(仮名)氏をカスタマー・センターの改革にあてた。彼らは、専門家が挫折し、投げ出して去っていったことを、強力なリーダーシップを発揮して、困難な改革を成し遂げていく。優秀な人材はどの分野を任されても、リーダーシップを発揮し、専門家以上の実績を叩き出すができるという実例は、自分のキャリアを改めて考えさせる話であった。

 

 

  最後に、本書とは全く関係ないが、三枝匡氏がミスミのCEO退任後、自身の母校である一橋大学に5億円の寄付をしたことを書きたい。米国では、アンドリュー・カーネギーの「富の福音」にあるように、大成功した事業家が多額を寄付をすることが多い。米国のビジネススクールでは、多額の寄付をした事業家・経営者の名前を冠していることをよく見かける。日本では、あまりそのようなお話は聞かなかったので、三枝匡氏が多額のお金を、経営者教育に使って欲しいと、寄付をされた話は心に残る素晴らしい話であると思う。

 

<プレスリリース> 一橋大学に三枝匡経営者育成基金を設立します

http://www.hit-u.ac.jp/function/outside/news/2015/0403.html

 

 

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世界の建築家 安藤忠雄の若き日の全財産を投資した西ヨーロッパ建築巡り

新国立新美術館で開催されている「安藤忠雄~挑戦」に行って、安藤忠雄さんの若き頃の西ヨーロッパ建築巡りの決断をしたエピソードを思い出した。

 

安藤忠雄さんは、貧しい家庭のため、建築を学ぶために大学に進学することもできず、建築を独学で学んでいた。22歳の時に日本各地の建築を巡る旅をする。そして、建築のアルバイトをしてお金がある程度貯まっていた24歳の時に、以下の祖母の言葉で全財産を使い果して、西洋の建築を見に行く決断をする。

 

「あなたね お金貯めてどうすんの?役に立たないよ。それよりも、いま自分が持っているお金を全部自分に投資しろ。そして、自分の体の中に残すしかない。」(2013年5月2日放送 日経スペシャル「私の履歴書」より。)

 

そして、安藤さんは、憧れの近代建築の父、ル・コルビュジエに会いたい一心で、1ドル=360円の時代に全財産を使い果して、1965年に横浜から船でソ連のナホトカに行き、シベリア鉄道でヘルシンキを経由して、最終目的地のフランスへ向かうこと決める。安藤さんは、当時の西ヨーロッパ旅行のことを振り返り、「命がけです。近所の人は“安藤の子は帰ってこないだろう”と言い、水杯で行きました。」と言っている。

 

安藤忠雄さんはル・コルビュジエの代表作である「ロンシャンの礼拝堂」で、ものすごくたくさんの人が集まるのに興味を持ち、場を作る仕事が建築であると思った。“私の履歴書”には、「たくさんの西洋建築を見て歩くうち、建築とは、人間が集まって語り合う場をつくる行為にほかならないと気づいた。」と書いてある。

 

安藤さんは、7か月に渡る旅で所持金は底をついたが、この旅は「自分にとって得られるものが大きかった」と語っている。

 

もし、安藤さんが、若き頃に全財産を投資して、西洋建築旅行をしなかったら、世界の安藤忠雄になっていなかっと思う。

 

私は、安藤さんの祖母の言葉にはとても感動をしていて、今でも頭の中から忘れられない。自分も、30歳の時に、全財産を使って、英語のMBAに行くことを決め、バージニア大学のDardenビジネススクールに交換留学をした。自分が、海外のトップスクールのDardenで見てきたこと、感じたことは、自分の中の目線を常に高くする(自分の基準を上げる: Raise the standard)ことにつながっている。自分の目線(基準)が高くなったからこそ、今でも、英語力を鍛えないといかないと、日々痛感して、努力をし続けているし、MBA卒業後の大きなキャリアチェンジにつながった。

 

安藤さんの若き頃の西洋建築巡りのエピソードは、若き頃に貯めたお金を自己投資をして、将来の大きなリターンにつながった実例です。私費でMBA進学をする人の心の励ましになるかと思い、ご紹介しました。

 

 

総合商社の中東の経営企画に思い切ったキャリアチェンジしてみて

2014年4月に、中東のドバイでの大手総合商社の中東エリアの経営計画の仕事に、思い切って、キャリアチェンジし、まもなく3年になります。キャリアチェンジするまで、知的財産の仕事しかしておらず、海外勤務は初めてで、英語のMBAコースで学んだ経営の知識だけを頼りに、総合商社での中東勤務が始まりました。

 

最初は、会議で営業部門からトレードの話を聞いても、MBAコースでは貿易の仕組みについて学ぶことがなかったので、単語の意味すら分からない日々でした。ジェトロの「貿易実務オンライン基礎講座(基礎編)」を受講してから、トレードの単語の意味が何となく分かるようになりました。

 

一方、MBAの米国交換留学時にファイナンスのクラスを集中的に受講していたこともあり、基本的なP/Lの読み込むはできると、実感しました。ただし、プロジェクトの投資案件になると、IRRなどの話は分かりますが、プロジェクトファイナンスのケースをやったくらいでは、投資の申請書の中身を深く理解するのは難しい、というのも実感しました。
    
仕事を通じて、自分が深く理解出来たと思うのは、中近東エリアの政治・経済の情勢と会社の仕組み。

 

一橋ICSのMBA在籍中にマクロ経済を学ぶことができなかったので、ハーバードビジネススクールのBGIE(Business, Government and the International Economy)のコースをもとにした

 

 

を読んでみた。サウジについて、著者のリチャード・ヴィートー教授の分析の深さに感銘を受けた。また、IMFの”Financial Programming and Policies, Part 1: Macroeconomic Accounts and Analysis”をオンラインで受講してから、IMFの各国についての Article IV Consultationの経済レポートの読み方が分かるようになった。上記2つにより、中東各国の財政の数値が示唆することの理解に一歩近づけるようになったと思います。マクロ経済の理解は、ある国への投資基準を判断する際に重要であるため、MBAホルダーには必須だと思います。

 

また、ドバイで開催される中東各国のセミナーへの参加や日々の中東情勢のニュース記事を読む環境にいたこともあり、日本に居続けたら、サウジやイラン情勢をはじめ、ここまで詳しくなることはできなかったと思います。中東の政治情勢は、一般的な日本人が考えているようりも、世界の政治に与えるインパクトがかなり大きいので、中東の政治情勢を理解できる土台を築けたのは、一生ものの財産だと思います。

 

総合商社の営業ではなく、経営企画の仕事をしていたからこそ学べたのは、会社のグループ経営やリスク管理、社内監査、コンプライアンス、コーポレートガバナンス等の会社の仕組み。特に、総合商社は子会社や投資先、事業会社がたくさんあるため、グループ経営という考え方は、通常のメーカーにいたら学べなかったことだと思う。グループ経営につき、松田千恵子さんの

 

 

を読みながら、総合商社の経営は、「グループ経営」というレンズでみると「なるほど!」とうなづくところがたくさんあった。また、同じく松田千恵子さんの

 

 

を読んでからは、勤務先の取締役会の人員構成を変わったことや社長が株主(出資者)を意識した発言をしていることにつき、コーポ―レートガバナンスの要請が時代の流れに伴い変化しているためであることを実感できた。松田千恵子さんの本に巡り合えたことで、日々の業務を通じて感じていることがグループ経営やコーポレードガバナンスという視点からつながり、目から鱗が落ちる感じでした。

 

それ以外では、アブダビの行政手続きで大変苦労したことにより、新興国での役所手続きの大変さを骨身に染みたこと、インド・パキスタン訛りの英語が理解できるようになったことも、ステップアップしたことの一つ。また、ドバイは、世界の様々な国の人が集まり、多様性(ダイバーシティ)を実感できたのも良かった。多様性の世界を経験すると、日本のように主に日本人だけで成り立っている世界に違和感を感じるようになる。

 

最後にイランについて。日本の総合商社はイランに拠点を持ち、イランには出張以外にもプライベートで何度も行き、テヘランでイラン人のお家にホームステイまでした。イランは人口約8,000万人の超大国で、治安も良く、イラン人はびっくりするほど親切かつ優秀であり、イランは米国のレンズを通した報道とは全く異なる魅力的な国であることを実体験して、世界観が大きく変わるぐらい感動した。

 

メーカーの知的財産から中東での総合商社の経営計画の仕事に思い切ったキャリアチェンジをして、何とか業務をやってこれたのは、新しいことを学ぶ吸収力や意欲だけではなく、転職前に英語のMBAコースで基礎的な財務・経理の知識があったことや、大前研一ライブ等を通じて、日々、世界各国の政経情勢や企業動向について興味を持っていたからだと思います。勤務先から言われた仕事だけを通じて学んでいく優秀なサラリーマンだったら、私のような職種、業界、勤務地、住む場所の4つが変わる転職は正直、かなり辛いモノになっていたのではと思います。

 

知的財産の実務業務に関係がない経営・ビジネスを自分がこれまで興味を持って学んできたことが、思い切ったキャリアチェンジに役立ったことはとても嬉しかったです。また、自分のキャリア形成の上でMBAが役立ち、若き頃に仕事を辞めて、英語のフルタイムMBAコースに進学を決断したことは、振り返ってみると、とても良かったと思います。

キャリアチェンジをして、中東で働きます

MBAコースを修了してから、3年半が経ちました。

 

お知らせですが、2014年4月から、中東のUAE(アラブ首長国連邦)のドバイで、大手総合商社の経営企画の仕事に携わることになりました。これまでとは、業界、職種、会社、住む場所の4つを思い切って変えるキャリアチェンジとなりました。

 

 

35歳でキャリアチェンジできた経緯や理由を、京都での生活を始めた頃から遡って、長々と書きます。

 

 

MBAコース在学中は、ブログのタイトル通り、英語のMBAコースでビジネスを学んだことをもとにして知的財産からのキャリアチェンジを目指していました。そのため、就職活動が思うようにいかず、MBAによるキャリアチェンジを断念して、2010年9月から京都で企業の知的財産部での勤務をすることにした時は、正直、何のために多額のお金を使って2年間もビジネススクールに通ったのか分からないし、これからずっと知的財産の仕事をし続けることになると思い、とてもガッカリしていました。(あまりのガッカリさに、MBAコースの卒業式後の夜のクラスメートとのパーティすら行かなかったほど。)しかし、最初の出社日の前に、「今は知的財産の仕事をしたとしても、(自分の心の中では)国際的なビジネスマンになろう。」と決めて、心をいれかえて、新しい京都での生活をはじめました。

 

 

国際的なビジネスマンとして活躍するために、経済的に発展もしくは注目されている国や都市を、自分の目で確かめてみて、その雰囲気を肌で感じてみたいという思いから、連休や企業での長期休暇をフルに活かして、中東、東南アジア、オーストラリアを中心に、海外旅行に出かけました。金銭的には苦しかったですが、自分の将来のための大きな投資だと思い、思い切って旅に出かけました。訪問地では、一橋ICSのMBAコースの外国のクラスメートや元同僚・友人の駐在員などから、当地の事情を聞くことができたのは、理解を深める上でとても役に立ち、感謝しています。

 

 

この3年半に自費で訪問した主な国・都市は、以下の通りです。
・中東…UAE(ドバイ、アブダビ、シャルジャ、フジャイラ)、カタール、クウェート、ヨルダン(アンマン)、イスラエル(エルサレム)、トルコ(イスタンブール)
・アジア…タイ(バンコク、ハジャイ)、ミャンマー(ヤンゴン)、カンボジア(プノンペン、シェムリアップ)、ラオス(ビエンチャン、バンビエン、ルアンパバーン)、ベトナム(ハノイ、ホーチミン)、フィリピン(マニラ)、シンガポール、マレーシア(ペナン)、インド(ニューデリー、ムンバイ、バンガロール、チェンナイ)、バングラデシュ(ダッカ)、ブータン、中国(上海、蘇州、重慶、成都、北京、天津)、韓国(ソウル、仁川)
・その他…オーストラリア(ゴールドコースト、シドニー、メルボルン)、ハンガリー(ブタペスト)、オーストリア(ウィーン)、極東ロシア(ハバロフスク、ウラジオストク)

 

 

旅行した中で、最も注目したのは中東でした。大きく経済的発展をしているにも関わらず、日本ではアジアのことばかり報道し、中東の正しい実態は知られていないのだと思いました。そのこともあり、中東の経済情報を知ろうと思い、毎週、CNNで放送される “マーケット・プレイス・ミドルイースト ”という中東経済番組を録画して、3年半近く、見続けました。

 

 

また、日々、英語力を向上させるために、通勤中に「NHK 実践ビジネス英語」 のビニュエットのリスニングの訓練にあてていましたし、会話力向上のためにそのビニュエットの音読を帰宅してから行っていました。大幅にTOEICのスコアアップした後も、ずっと続けていました。

 

 

その他に、Bloomberg Businessweek の購読を開始し、海外のビジネス情報を英語で収集したり、BBT757ch の「大前研一ライブ」や「大前研一アワー」を視聴して、大前研一さんが解説する海外のトピックスに耳を傾けていました。(なお、大前研一さんの番組を、もう9年半も見続けています。)

 

 

企業での知的財産部の仕事は、当初は組織の拡大時期でしたので、日々仕事をしながら、組織のマネジメントについて学ぶことが多かったこと、海外案件の仕事が多く、これまでの職務経験や英語のMBAコースで鍛えられた海外の方とのコミュニケーン力を活かすことができて、とても充実していました。また、中東のドバイとサウジアラビアの模倣品対策業務について担当させていただいたことも、とても良い経験でした。特に、観光では行くことができないサウジアラビアに出張で行かせていただいたことについては、とても感謝しています。

 

 

知的財産部内の組織が拡大時期を終え、安定時期を迎えた頃に、自分は法律の仕事ではなく、海外ビジネスの仕事をしてみたく、企業の知的財産部の一担当者として、定年まで働きたくないし、情熱を持ち続けられないという気持ちが目覚めてきました。しかし、前々から、企業内での海外ビジネスの部署への異動は難しく、人材紹介会社でも未経験の仕事を紹介できないと言われていました。年齢も35歳だし、キャリアチェンジは難しく、あきらめモードでした。

 

 

2013年11月に、あることをきっかけにして、総合商社の説明会に参加したところ、総合商社の仕事は魅力があって、総合商社の海外ビジネスに何か一部でも貢献できる仕事をしてみたいと思うようになりました。

 

 

そして、2013年12月に大手総合商社のドバイ支店で、中東の経営企画の求人があったので応募してみたところ、採用となりました。なお、面接では、当初の総合商社のイメージとは大きく異なり、一緒に働いてみたいと思った方々が出てきたことや、ドバイで最終面接をした際に、ドバイで新しい挑戦をしてみたいと心の中で思ったことも、自分の決断を後押ししました。

 

 

今回、35歳でキャリアチェンジできた主な理由を、箇条書きで書くと以下の通りです。
① MBA取得後に、自分で国際的なビジネスマンになると決め、それに向かって、3年半近く、努力し続けたこと。
② 自分への投資と決めて世界の経済発展している都市を訪問したり、Bloomberg Businessweekを購読して、国際的な視野が広がったこと。
③ 旅行をきっかけにして中東に興味を持ち、中東の情報収集をし続けていたこと。
④ 偶然、中東の業務に従事することができて、その経験を面接の時にアピールすることができたこと。

 

⑤ 英語のビジネススクールで学んだことにより、ビジネスの視野が広がったことと英語力が磨かれたこと。

⑥ バージニア大学大学院ダーデンビジネススクールに交換留学し、海外生活を経験したこと。

 

振り返ってみると、自分の仕事の業務以外に情熱を持って積極的に取り組んだことが、キャリアチェンジにつながったのだと思います。2008年に英語のビジネススクールに行くという決断をしなければ、今回のキャリアチェンジも難しかったと思いますが、結局、MBAを取得しただけではキャリアチェンジは不十分であり、また、自分から自分の仕事以外の行動(アクション)を起こさなければ、チャンスすら巡って来ないということです。

 

 

自分としては、MBAコース入学前にキャリアチェンジを目指してから5年半も経ちましたが、キャリアチェンジは決してゴールではなく、新しい人生の始まりとして、これからも日々努力し続けていきます。また、35歳でキャリアチェンジのチャンスを与えてくださった企業には感謝をし続けて、働きたいと思います。

 

 

MBA取得後にキャリアチェンジを目指す方にとって、参考になるかもしれないと思い、久々に記事を書くことにしました。

 

卒業式、そして新たな人生の始まり

8月27日(金)に一橋ICSのMBAコースの卒業式が如水会館でありました。


卒業式のために京都から戻り、参加しました。


バージニア大学ダーデンビジネススクールへの交換留学から戻ってきた後の8カ月間のICSでの学生生活はとてもゆったりとしていたためか、卒業式でMBAの学位をいただいても特に心の中に達成感や感動というものは全く湧いてこなく、あっさりしたものでした。


約2年前に入学した当時のことを振り返ると、それまでの学生生活や社会人生活で知り会うことがない日本人や外国人との出会いがあり、とても新鮮でした。また、英語での環境にとまどい、高尾でのオリエンテーションでクラスメートが言っている英語がわからずとても困ったシーンを鮮明に覚えています。そのような状況で、英語でのケーススタディやグループディスカッションを何とかこなしていくように努力したことを思い出します。


また、バージニア大学ダーデンビジネススクールに交換留学し、2つのQuarterに渡り授業を受けて、クラスの内容や学生のクオリティとレベルの高さ、英語のスピードの早さに驚きました。そのような中でも、バリエーションのクラスでは自分のプライドをかけてスプレッドシートを作成し、M&Aのタフな課題も協力しながら提出し、交渉のクラスではレベルの高い学生と真剣に価格交渉などをしたことなどを懐かしく思います。


これまで、ビジネススクールで読んだハーバードなどのケース数を先日、数えてみたところ、ICSでは161ケース、バージニア大学では66ケースを読んだことがわかりました。それ以外にも、英語の論文や書籍を読んでいるので、かなりの数の英語を読みこなしたと思います。


2年前に比べると、自分の視野が広がるとともに、英語も上達して国際的な人物になり、自分を大きく成長させることができたと思います。2年間の費用は生活費も含めて、およそ700万円以上かかりましたが、将来、自分が成功するキャリアを築いていく上では必要な経験になるのではないかと思います。


MBA学生としての一番の思い出は、やはりバージニア大学での交換留学の生活です。学びの質および内容ともに、シャーロッツビルという素晴らしい町での学生生活は、一生の思い出です。先日、バージニア大学で一緒になった中国やインドの交換留学生にメールをしたところ、温かい返事をもらいました。リーダーシップのクラスで隣の席だった北京大学の女性の交換留学生から、最近、彼女が興味のあったファッション業界で仕事が決まったというメールがあり、とても嬉しく思いました。短い期間だったけれど、交換留学生としてともに頑張ったためか、自然と強い絆が結ばれたのだと思います。


最後に、ブログについて書こうと思います。


MBAの学生生活の記録を残したいと思って書き始めたところ、ブログを通じて様々な方にお会いすることができ、自分の視野が広くなりました。学生生活の2年間に読んだ本は190冊ですが、そのうち学びが深かった本について62のブログ記事を書きました。インプットだけではなく、アウトプットをすることによって、本の内容が身についていき、自分の成長を加速することにつながりました。


これまで、応援メッセージをいただいた方、誠にありがとうございました。


卒業式は英語ではCommencementといいます。「開始、始まり」の意味です。


これから、5年半に渡り住み続けてきた船橋を離れて、京都で新しい生活を始めます。


MBAホルダーということとは関係なく、今後、ビジネスマンとして成功し続けることに集中していきたいと思っています。


このブログは残しておき、新たな学びがあったときに更新していきたいと思います。


今後とも宜しくお願いします。

就職活動で役に立った3冊の本

MBA学生として就職活動をするのにあたり、役に立った3冊を簡単に紹介します。


① MBA式 面接プレゼン術 (シェル・リアン著)
 米国のトップMBAスクールの学生の面接プレゼン術を紹介している本。原著のタイトルは、「How to Interview Like a Top MBA」
 MBA学生として就職するのにあたり、何回も読み直しました。私の就職活動のバイブルとしていた本です。ボストンキャリアフォーラムの前に入手して読みましたが、はっきり言って、読むのが遅すぎました。私の場合、面接先の会社に対して自分はどのように貢献できるのかを上手にアピールする必要性について、この本を通じて学びました。
 ダーデンビジネススクールの図書館のリクルーティングコーナーにも置いてあったし、ハーバード大学の書店の就職本コーナーに大きく置いてあったので、米国ではとても有名な本だと思っています。

MBA式 面接プレゼン術/シェル・リアン
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② 転職面接必勝法 (細井智彦著)
 リクルートエージェントの「カリスマアドバイザー」が書いた本。この本を読んで得られた一番の収穫は、面接で不採用となる理由のNo.1が応募者の「やる気が感じられない」ということ。自分にとって、やる気のしない仕事を応募しても、面接官はやる気がないことを見抜いてしまうと思い、応募する企業を絞るきっかけになりました。
転職面接必勝法/細井 智彦
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③ 転職後、いい仕事ができる人の条件 (佐藤文男著)
 転職してから、気をつけるべき点について書いてある本です。転職後の失敗例を読むことにより、どのような会社や職種に応募すべきか、考え直すことにつながりました。
転職後、いい仕事ができる人の条件/佐藤 文男
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②と③については、以前にブログの記事に書いた人材紹介会社のコンサルタントから紹介された本です(そのコンサルタントについての記事はこちら )。②は転職前、③は転職後の位置づけです。


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