健全な精神は健全な肉体に宿るっていうけど。健全な精神ってなんだろね。と不健全な肉体とフケンゼンな暮らしの中で思ったのだ。

そういえばたしか。
2004年5月に「一切の教養・娯楽は健全でなければならない」という内容を含む「健全化」法案(コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律案)が委員会成案として出されたんだよね。

自由民主党、公明党、民主党の三党共同で提案され、即日実質審議入りして20分程度の審議の後、即日全会一致で可決された。

アホダラだよね。「一切の教養・娯楽は健全でなければならない」マジかと思うよね。

「一切の教養」っていうけど、日本が誇る谷崎潤一郎の「卍」が健全かぃ。川端康成の『眠れる美女』が健全なのか。三島由紀夫の「仮面の告白」が健全だってか。文学や芸術の多くは健全でないことに価値があったりする。

不健全で異端だからこそ芸術は面白いし、いや、そうでないものはわざわざ金出してみる価値はない。だってそこらに転がってるからね。

「一切の娯楽」って、競馬やパチンコが健全かぃ。タバコや酒が健全なのか。娯楽の多くは健全でないからこそ娯楽なのじゃね。

特にイヤな感じがするのは「健全」が良い事だと、無条件に決め付けてしまっていることだよね。おまけに「健全」という言葉がどれだけ、心身に不全を持つ人々を排除しているのか、考えもしないセンスだ。

政府が国民に「健全」を求めた国。ナチス・ドイツもそうだったよね。性欲を感じさせる美術を「退廃的」として焼き払い、心身障害者や同性愛者を「劣等人種」として焼き払った。「健全」は怖いよね。

愛国も道徳教育も、押し付けられたらイヤに決まってる。ちみらのセンスのない”健全”を押し付けられるのもおんなじよ。児ポ法も通っちゃったしね。

ピカソだってダリだって、ダヴインチだって健全と言われる画家ではなかったし、人間性と芸術性は別だしね。

漫画家で画家の小暮氏が、「芸術に品格は必要か」ってカラヴァッジオのことを例にして述べていたけど。美術史のなかでも同性愛者だった言われる芸術家も少なくない。

カラヴァッジョは、(1571年9月28日ー1610年7月18日)本名はミケランジェロ・メリージ。ミラノ近郊のカラヴァッジョ村で生まれたため、この名で呼ばれて
いるの。

16世紀の後半から17世紀初頭にかけて、イタリア絵画の世界に彗星のように現れて消えた画家。プラドにバッカスを描いた作品もあるけど、同性愛のオトモダチをモデルにしてるとされている。

13歳で地元の工房に入るんだけど、工房の仲間と大ゲンカしてローマに渡った。当時は地元で身に付けた静物画を描きながら、細々暮らしていたらしい。静物画家というのは画家としては最低のランクで、教会画家や宮廷画家がスターだったのね。

ところが、芸術に造詣の深かったデルモンテ枢機卿がカラヴァッジョの静物画に目をとめて、華々しくローマにデビューすることになった。

デルモンテ卿は手紙で、若きカラヴァッジョを「すでに大家」と評し、もうひとつ「手に負えぬ人物」とあるから、枢機卿は「アートと人格は別」ということも良くわかっていた目利きだったに違いないね。

やがてローマで「聖マタイの召命」を発表すると、光と影のコントラストの強烈な作品はたちまちローマで脚光を浴び、一躍スターの座に躍り出た。

   
    聖マタイの召命

だけれど、芸能人でも「お騒がせ」がいるように脚光を浴びるようになると、カラヴァッジョはスキャンダリストの本領をも発揮した。

早描きで下絵も描かず、一気に仕事を2週間ほどで仕上げると、あとの2カ月は“おトモだち”の取り巻きを従え、腰にナイフをブラ下げては、ケンカと決闘&乱闘三昧にあけくれる毎日。

当時カラヴァッジョが起こした警察沙汰は、わかってるだけで6年間に10数件というから、1年に2回は留置所というわけね。

人格的にはぶっ壊れていたカラヴァッジョだったけど、アートに関しては本質を知っていて。ある人が「もう少しギリシャ彫刻でも学んではどうかね」と言
ったところ、「私には彼らがいる」と町を歩く人たちを指差したという。カラヴァッジョの絵画に対する姿勢をよくあらわしてる。

ゴロツキや売春婦をモデルに当時の服装で描いている。今でいえば、ジーパンにTシャツのキリストを描くようなものだろうかね。「聖母の死」って作品ではマリアのモデルとして、婚約者に捨てられてテヴェレ川に身投げした水死体の娘を使ったと噂が立った。

驚いたのが依頼主のサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の司祭たちだ。まさに教会のメンツ丸つぶれ。神聖なマリアに、男に振られて身投げをした水死体をモデルにするとはもってのほかと、司祭たちは受け取り拒否をする。

権威主義の教会に、そんなことはモノともしないカラヴァッジョ。だったら最初から頼まなければ良いのにね。それほど当時の名声が高かったのだろう。

1608年5月。ゲームのもつれで乱闘になったカラヴァッジョは、友人の1人を刺し殺してしまう。おたずね者になったカラヴァッジョだが、その才能を惜しむ支援者の庇護を受けてローマからナポリ、シチリアを転々とする。

ナポリでは多くの依頼があったにも関わらず、カラヴァッジョはそれを捨ててマルタ騎士団に入団する。おそらく、人を殺したという後悔の念がそれをさせたんだろうか。1年ほど大人しく敬虔な生活を送るも、心の中にいる虫が騒いだのか高位の騎士とケンカして投獄されてしまう。

最期は教皇の恩赦をもらうため、ローマに向かう途中にマラリアにかかり38年という短い生涯を終える。文字通り破滅型人生の終わりだった。

死体をモデルにしてスキャンダルとなった「聖母の死」を、後年買い取ったのが絵画史上もっとも品行方正で成功した画家、リューベンスというのは面白いね。

つまり健全であろうと人格高潔であろうと、また逆であろうと、芸術の結果や教養とは関係ないんだよね。

健全を押し付ける健全な官僚、議員のみなさまにはフケンゼンな健全さは解らねぇのよ。